再三、大学の理事さんから帰って来るように説得され、結局戻ることに。1カ月ほど療養して腰を治して、合宿所に帰りました。

 六大学リーグで思い出深い選手の一人は、明治大の1年先輩だった星野仙一さんです。試合中はさんざんヤジられましたよ。でも、星野さんはユニフォームを脱いで学生服になると、品行方正な大学生になる。審判の間でも、「星野君はユニフォームを着ている時と脱いだ時の差が激しい。こんな生徒も珍しい」という話を聞いたことがあります。

 ユニフォームを着た時に人格が変わって「闘将・星野仙一」になる。その方針を一生貫き通したことには、ある意味で「自分がどう見られているか」を意識したうえでの演技もあったと思う。もう、彼のような男は二度と野球界に現れないでしょうね。

■監督と対立して干され、プロに入れず……

 話を戻しましょう。大学3年の春季リーグで、エースとして活躍することができて、「ドラフト指名もあるかも」と考えていました。

 そんな時に、また挫折することになってしまった。4年の秋季リーグに向けて練習をしていた頃、1年生の親から「上級生のシゴキがひどすぎる」と、監督に抗議の連絡が入った。それで、監督が4年生を呼び出して説教を始めた。

 たしかに、当時の体育会系のシゴキはひどいもので、私自身もウンザリでした。ただ、私は無意味なシゴキはしませんでしたが、先輩に対する礼儀をわかっていない後輩には、厳しく指導したこともある。“必要悪”の部分もあったと思ってます。

 そんなこともあって、野球部内のシゴキは監督も知っていたこと。ところが、監督は延々と4年生のキャプテンと副キャプテンを怒鳴り続けました。

 説教が30分ぐらい続いた頃でしょうかね。そこでまた、私の悪いクセが出てしまった。

「監督だってさんざん俺らをシゴイたやないですか」

 と言ってしまったんです。言った後に「まずい」と思いましたが、ちょっとした口論になってしまった。チームメイトで自分の味方をする者もいましたが、その仲間たちも含め、これがきっかけで4年生の大事な秋季リーグ戦を外され、私はベンチにすら入ることすらできませんでした。

 これで大学野球の生活はあっさり終わりました。もちろん、ドラフトで指名されることもなかった。ただ、同世代の選手を見ていると「オレもやれる」と励みにもなりました。

■江本孟紀(えもと・たけのり)
1947年、高知県生まれ。高知商業、法政大を経て、谷組に入社。71年、ドラフト外で東映に入団。南海や阪神ではエースとして活躍。81年に現役引退。8年連続二桁勝利で通算113勝。野球評論家として活躍し、映画やミュージカルにも出演。参院議員を2期務めた。2017年に旭日中綬章受賞。近著に『僕しか知らない星野仙一』(カンゼン)や自伝『野球バカは死なず』(文春新書)。

(構成/AERA dot.編集部・西岡千史)