これだけなら単なる暴走で話が終わっていたのだが、実は、大島は5月5日の大洋戦(横浜)で一塁走者だったときに、ライトの落球で一挙二塁を狙った打者走者の宇野勝に追い越されたばかり。

 わずか2週間の間に「追い越され」と「追い越し」の両方を体験した選手は、もちろん大島しかいない。

「暴走族め!」と宇野を笑った大島が2週間後、「まいったなあ。これじゃあ、宇野を笑えないよ」と頭をかく羽目になろうとは……。

 ちなみにこの回は、2死満塁で投手の都裕次郎が走者一掃のタイムリー三塁打を放ち、8対6と逆転に成功したが、終わってみれば8対10の逆転負け。走塁も試合内容もちぐはぐな一日だった。

 ヤクルトから巨人FA移籍した広沢克己が、「裏切り者!」とばかりに古巣のホームグラウンドに嫌われる(?)珍事が起きたのが、1995年5月14日の巨人vsヤクルト(神宮)。

 投打がかみ合わず5連敗中の巨人は、この日もヤクルトのブロス、山田勉、高津臣吾の投手リレーの前に8回までわずか3安打と元気なし。1対2とリードされて最終回を迎えた。

 だが、直後、巨人ファンのボルテージは一気に上がる。先頭の5番・広沢の打球が快音とともに右翼席目がけて飛んでいったからだ。

 ライト・真中満がフェンス際で必死にジャンプしたが、打球は真中の差し出すグラブの上を越えていき、次の瞬間、グラウンドに跳ね返ってきた。

 起死回生の同点弾と思われたが、友寄正人一塁塁審の判定は「インプレー」。広沢は全力疾走で三塁まで到達したものの、「ホームランじゃないの?」と言いたげに塁上で呆然と立ち尽くしていた。

 ベンチから長嶋茂雄監督が飛び出して抗議したが、「ベンチからは見えなかった」とあって、具体的な根拠を示すことができない。須藤豊ヘッドコーチと協議した結果、しぶしぶ引き下がった(記録は三塁打)。

 しかし、右翼席で観戦していたヤクルトファンは「目の前でコンクリートに跳ね返って(グラウンドに)戻った。入ってましたよ」と証言。真中も「わかんねえけど、跳ね返り方を見ていると、入ったんじゃないかな」と首を捻るほど微妙な打球だった。

 テレビのスローモーションVTRを見るかぎりでは、フェンスを越えてスタンドに当たって跳ね返り、再びグラウンドに落ちたように見えた。

 打った広沢自身も「ボールがああいう跳ね方をしたときは入ってるんだよ。(明大、ヤクルト時代も含めて)ここ(神宮)で何年もやっているんだから、それぐらいわかる」と納得がいかない表情だった。

 この回、巨人は広沢の一打でつくった無死三塁のチャンスを生かせず、ついに6連敗。「あれがホームランだったら……」とファンもため息をついた。

 前年オフ、“イケトラコンビ”の相棒・池山隆寛らチームメートの慰留を振り切るようにして巨人にFA移籍した広沢だったが、大学時代から足かけ15年にわたって慣れ親しんだ古巣のグラウンドにこのような形でしっぺ返しを食うとは、まさに因果はめぐる?

●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

著者プロフィールを見る
久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

久保田龍雄の記事一覧はこちら