ロッテ・有藤道世(当時) (c)朝日新聞社
ロッテ・有藤道世(当時) (c)朝日新聞社

 2018年シーズンが開幕して約1カ月が経ち、連日熱戦が繰り広げられているが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「因果はめぐる編」だ。

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 振り逃げで出塁するのは打者にとってラッキーな一事だが、そんな幸運の御利益を象徴するような珍事があったのが、1983年10月8日の南海vsロッテ(川崎)。

 2点を先行されたロッテは2回1死、5番・有藤道世が空振り三振に倒れたが、これを捕手・吉田博之が後逸したため、振り逃げで出塁した。

 この回は無得点に終わったが、有藤は3対3で迎えた8回に決勝の左越えタイムリー二塁打を放ち、ロッテが4対3と逆転勝ちした。

 結果的に振り逃げで生きたことが幸運を呼び寄せた形だが、実は、この珍事は、有藤にとって、2試合連続の“快挙”でもあった。

 有藤は同6日の日本ハム戦(後楽園)でも、2回に「プロ入り初めてじゃないの」という振り逃げを体験し、2対2の同点で迎えた8回に田中幸雄から決勝2ランを放っているのだ。くしくも振り逃げと決勝打を記録したイニング(2、8回)ばかりでなく、スコアまで申し合わせたように同じ4対3だった。

 2試合連続の振り逃げ&決勝打は、まさに“持っている男”の証明。本人も「サイクルヒット以外はほとんど経験してるけど、こんなの初めて。でも、キャッチャーも捕れないクソボールを振ったということだから」と2試合連続勝利打点のことなどそっちのけで、振り逃げ談議に花を咲かせていた。

 打者走者に追い越された一塁走者がそれから2週間後、今度は自分自身が追い越しアウトになる。こんな因縁めいた珍事が起きたのは、1984年5月19日のヤクルトvs中日(ナゴヤ)。

 3点を追う中日は5回無死一、二塁、4番・大島康徳の当たりはあわや同点ホームランという左中間への大飛球。レフト・釘谷肇がフェンス一杯で捕球を試みたが、打球はスタンドに入らず、フェンスを直撃した。

 大島は一塁を回ると、二塁に向かって全力疾走。ところが、一、二塁間で打球の行方を見守っていた一塁走者・谷沢健一に気づくのが遅れ、追い越しアウトになってしまった。

「“入れよ”と祈りながら走ってたら、目の前に谷沢さんがいる。ビックリして戻るゼスチュアをしたけど、時すでに遅かったよ」(大島)

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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「あれがホームランだったら…」