(1)文書は、国民の財産ではない。

 官僚には、役所で作る文書が国民の財産だという意識はないと言って良い。役所にいる時にそんな意識を持っている官僚に会ったことはなかった。

(2)文書は責任追及の根拠となる危険物である。

 そもそも、官僚が文書を隠したり公開を制限したりするのは、それが、自分たちへの批判、責任追及の根拠として使われる可能性があるという意識を非常に強く持っているからだ。どうして、そういうリスクを強く意識するかというと、官僚たちの仕事の多くが、政治家や自分の役所の利権を作り、維持するために行われていることが多く、文書には、その直接的な証拠、あるいは、それを推認させる事実が記録されていることが多いからである。したがって、そのような文書は本来はない方が良く、もちろん公開などできるだけしない方が良いということになる。

(3)文書は自分たちの仕事のために使う官僚の財産である。

 一方で、仕事を進めるうえでは文書を作ることは必須である。内部で検討を重ねる時には、それまでの経緯を正確に記録しておかないと、その先の議論が混乱するし、最終的に上司の承認を得るためには、説明資料が必要となるからである。つまり、文書は、自分たちの仕事を進めるために作るものだという意識である。

(4)仕事に必要な文書は永久保存しなければならない。

 この考え方には、三つの側面がある。第一に、官僚の生い立ちとの関連だ。エリート官僚たちは、優秀だと言われるが、その意味するところは、受験競争で優秀だったということだ。その優秀さを支えるのが、過去問である。過去問を全て正解する。それが受験競争の勝者になる道である。

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第二の側面は…