きっかけとなったのは、6月5日の横浜vs中日(長良川)の6回裏。この日球審を務めていたディミュロは、中日の先頭打者・大豊泰昭に対し、西清孝が投じた外角低めを「ストライク!」と判定した。日本人の審判ならボールと判定してもおかしくないコースだったが、ディミュロのストライクゾーンは外に広く内に狭い傾向があった。

 判定に納得がいかない大豊が振り返り、「何でストライクですか?」と問いかけると、ディミュロは「暴言を吐いた」として、いきなり大豊に退場を宣告。怒った大豊は胸を小突き、ベンチから飛び出してきた星野仙一監督とコーチ数人がディミュロを取り囲んで猛抗議した。
 
 アメリカでは選手が審判の体に直接触れたり、集団で抗議することはあり得ない。「自分のアンパイアとしてのキャリアの中で経験したことのない恐怖感を覚えた」とカルチャーショックを受けたディミュロは翌6日、辞表を提出。かくして、日本球界初の試みだった外国人審判制は、開幕から2カ月余りでジ・エンドとなった。

●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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