オリックス阪神で通算176勝を挙げ、“星の王子様”の愛称で親しまれた左腕・星野伸之は、最速130キロ台そこそこのストレートに70~90キロ台のスローカーブ、110キロ前後のフォークと3つの球種しかないにもかかわらず、遅い球を武器に活躍した。

 打者にしてみれば、投げる瞬間まで握りが見えず、球種が読めないうえに、速球とスローカーブの落差が40キロ以上もあるので、逆に「速く見えた」という伝説も残している。

 ところが、そんな星野の“遅球”を、「これならミットは不要」とばかりに捕手が素手でキャッチするという、まさに「エーッ、ウソ~!」の珍ハプニングが起きた。オリックスエース時代の90年9月20日の日本ハム戦(東京ドーム)、先発・星野は9番の右打者・田中幸雄に対し、カーブがすっぽ抜けて外角に大きく外れてしまった。

 すると、捕手・中嶋聡は左手にはめたミットを使うことなく、何食わぬ顔で、右手でパシン!と素手キャッチ。すぐざま星野を超える球速で返球したことから、相手の日本ハムベンチだけではなく、オリックスベンチ、スタンドの観客もドッと笑った。ちなみに強肩捕手で知られた中嶋は、スピードガンコンテストで147キロを記録したことがあり、星野の球より送球のほうが速いのも、もっともな話なのである。

 確かに星野の遅球は、打者が死球を受けても痛がる素振りを見せないほどだが、それでも、前年最高勝率のタイトルを獲得した一流の投手の球を、よりによって素手でキャッチされたとあっては、当然プライドはズタズタだ。

 3年先輩にあたる星野は、攻守交代でベンチに戻った後、「素手で捕るなよ。ミットが動いてなかったぞ」と中嶋にクレームをつけたが、「(外角に大きく外れて)ミットが届かなかったんです」と言い訳されては、それ以上追及もできず、憤まんやるかたない様子。

 そして、8回まで5安打2失点に抑えた星野だったが、2対2で迎えた9回、中島輝士にサヨナラアーチを浴びて負け投手に。字と読み方は微妙に違うが、「なかじま」に素手キャッチされた後、「なかしま」にサヨナラ弾を浴びるという散々な一日となった。

 ひょっとすると、素手キャッチの“悪夢”が最後まで脳裏に焼きついたまま、そのショックが尾を引いていたのかもしれない?

●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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