答えは、ほっけの開きだった。人生に関わる電話を副知事が身構えずにとったことをうかがわせる小道具として、県版の「緊急連載 現職不出馬」に登場させた。連載には、見送りに至る水面下の動きや、当事者の読み違い、記者の粘り強さに思わず漏らした本音などが、細やかな情景とともにぎっしりと詰め込まれている。

 言葉は、イメージをかたちづくる。それは具体的な場面のこともあれば、頭の中にだけ存在して姿形のない「考え方」という場合もある。

 突然、行く手に立ちはだかった「膵(すい)臓がん」という大敵にどう立ち向かうか。福島で受けた人間ドックで要精密検査の結果が出た後、自分なりに対処方針を決めた。それを家族や見舞にきた知り合いに繰り返し言葉に出すことで固め、ぼやけたりふらついたりしないように心がけた。

 その中にはいちから頭で考えたものも当然、ある。だが多くは、前に読んだことがある本や、病気になってから手に取った本、人から聞いた言葉を頼りに作り上げてきたものだ。

 たとえば、「常に最悪の事態を頭の中に置き、根拠のない希望は持たない」という方針がある。と言っても、これだけならば「なんだ珍しくもない」と思う方が少なくないのではないか。だが大切なのはそこにどれだけの実感、覚悟が伴っているかだ。私の場合、ある漫画に出てくるセリフのおかげでイメージが鮮明に、そして揺るぎないものになった。

 花村萬月作、さそうあきら画の「犬犬犬(ドッグ・ドッグ・ドッグ)」(小学館)。登場する暴力団の組長は、自分を殺そうとしたチンピラをリンチにかける。死を覚悟したチンピラが脳内麻薬のせいか、痛みを感じなくなると「許す」と伝え、チンピラの反応を見る。「ほーら、痛みがぶり返してきよった。おもろいな人間は。生きられるかもしれんと思ったとたん、脳内麻薬なくなってしもた」

 もちろん、そうさせるために組長はうそをついたのだ。信じたチンピラを悲劇が待ち構える。

 がんと聞いて頭に浮かんだのは、むかし読んだこの陰惨極まりない場面だった。人の苦しみは心の持ちように左右される。ならば「一喜」しないように自分に言い聞かせ、心が「一憂」に振れないようにしよう。

 それがどれほど役立ったかはわからない。ただ、治療を始めてすぐのころ、多くの患者を診てきたベテラン外科医から「泰然自若としている」と言われたことは自信になった。このまま行こう。行くしかないのだ、と思った。

 言葉の力。

 新聞記者になってから20年以上がたち、初めてその大きさを知ったのかもしれない。

 だが言葉には、影響力が大きいだけに、油断ならない面もあることに気づいた。つかず離れずの距離感が必要ではないかと感じた「異変」が昨秋、この連載が始まる直前、ある本屋で起きた。

 それから半年。言葉はこれまで通り頼りにしながらも、より気をつけて付き合う相手になっている。

 その話はまた次回に。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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