総局にはまっすぐな記者が集まっていた。踊りに使う太鼓や衣装を津波で流されながらも「祭りは町そのもの。原発のためにやめられっか」と民俗芸能を復活させた住民の話。あるいは、生徒の心を傷つけるかもと心配しつつ、震災体験を授業で取り上げることにした学校関係者のこと――。

 前段と後段をつなぐ役割で、「それでも」がしばしば出てきた。同じ接続詞でも、「だが」や「しかし」とは違う。鼓舞するような、気分がクッと上向くようなニュアンスがこもっていた。

 下手をすると文章が一本調子になるおそれがあるが、ほとんどは削らずに残した。立ち上がろうとする取材相手を応援したいという筆者の気持ちが、文章から伝わってくるからだ。いつしか自分の気持ちもそれに重なり、言葉そのものが定着していった。

 たとえば、若手が書いてきた原稿にメリハリが欠けていると感じたときがあった。「それでも」とやったうえで構成を手直しすると、とたんに文章に人の血が通い、背骨が通った気がした。

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