にのみや「日本では、被害者も加害者も“再生する”ことが認められています。推奨されている、といってもいい。被害者は心と体の傷を癒し、早く社会の一員に戻って生きよ。加害者は罪を償い、社会に戻ってしっかり生きよ、ということになっています。でも現実的には制度面でも社会からの目という意味でも、それがむずかしくて、いつまでも『被害者だった』『加害者だった』にはなれない。それでも生きていかなければならないのは、とてもしんどいことです。これは私自身の実感でもあります。そういう意味では、被害者も加害者も同じ人間だと思います」

 同じ人間、とはやさしさではなく、むしろ厳しい言葉に聞こえる。

斉藤「彼らは取り返しがつかないことをしたので、私たちもそこには毅然とした態度で接します。けれど治療で目指しているのは、あくまで再犯防止です。私たちのプログラムでは、認知行動療法といって、自分が性暴力に走ってしまう悪循環のパターンやリスクを洗い出し、それへの具体的な対処方法を学び、問題行為を起こさないためのライフスタイルをまず身につけます。それを反復しながら、何年もかけて内面や認知の歪みに変化を促していくのですが、彼らが変わるのは容易なことではありません。私たちはその変容にともなう痛みは尊重します」

にのみや「人が加害行為に走るには、なんらかのきっかけがあるんじゃないかと思うんです。人づき合いが苦手だったとか、周りから浮いていたとか。そんななかで人知れず、認知(物の考え方や見方)が歪んでいく。それ自体は誰にでもありうることですから、早い段階で『その考え、ちょっとおかしいよ』『話、聞くよ』と声をかけてくれる人がいれば、彼らは加害者にならなくても済んだかもしれません」

 性犯罪加害者には自己肯定感が低く、他者とコミュニケーションを取るのが苦手な人が多いというのは、斉藤さんが著書で指摘していることでもある。

にのみや「性犯罪のニュースを見ても、自分とは無関係の出来事で、事件を起こした加害者と被害者だけの問題だと思う人は少なくないと思います。でも、そうやって自分とその周りだけを大事にすることで、いつの間にか浅い関係しか築けない社会になって誰もが孤立していく……こうなると、暴力や性暴力をふるう加害者が増えていく一方でしょう。加害者が増えるということは、被害者もさらに増えるということです」

 性犯罪被害者も、加害者も、そしていまのところ被害者や加害者になっていない人も、同じ人間。だからこそ「特殊な暴力」「異常な人が起こした事件」と線引きするのではなく、自分たち自身の問題として考えることが大事なのではないだろうか。(取材・文/ライター・三浦ゆえ)