斉藤章佳先生
斉藤章佳先生
にのみやさおりさん
にのみやさおりさん

 性暴力、性犯罪被害には、ひとつとして同じものがない。被害の状況も違えば、その後の影響も違う。その人が受けた傷は、ほかの被害者と比較できるものではない。けれど社会のものさしが被害者を分断する、と性暴力被害経験がある写真家・にのみやさをりさんは感じている。

にのみやさをりさん(以下、にのみや)「被害について、自身と他者とを比べる人は少なくありません。『Aさんはレイプだったからつらくて当然だけど、私はさわられただけの痴漢なんかでこんなに参っていて情けない』という具合に。どちらも同じ性暴力被害で、それによってどちらがより深く傷ついたかを比べることに意味はありません。それなのに痴漢“なんか”と被害を低く見積もると、自身の回復を妨げることになります」

 そうした感情は被害者個人から自然発生的に出てくるものではなく、たとえば「痴漢ぐらいでさわぐのはおかしい」という社会の常識や価値観に大きく影響されているものだという。

 一方、加害者にも似た現象が見られると指摘するのは、社会福祉士、精神保健福祉士の斉藤章佳さん。東京都大田区の大森榎本クリニックで、性犯罪加害者を対象とした再犯防止プログラムに取り組んでおり、そこで向き合ってきた痴漢加害者の実態を『男が痴漢になる理由』(イースト・プレス)に著した。

斉藤章佳さん(以下、斉藤)「性犯罪加害者同士は、自分とほかの加害者を罪状で比べる傾向があります。盗撮の常習者が、強姦や強制わいせつの罪を犯した人と自分を比べ、『僕はたいして人を傷つけていない』と思うこともあります。知らないところで自分の姿を映像に収められ、それがどう利用されるかわからない被害者の恐怖には、彼らは想像が及びません。強姦にしても、暴力で相手に圧倒的な恐怖を与えながらだったのか、殴るなどの暴行はなかったのかで優劣が生まれたりします。殴らなくとも、立場を利用して望まない性行為を強いるのは強姦だという発想は彼らにはありません」

 被害者の苦しみにも、加害者の驕りにも、社会にある価値観が反映されていると両氏はいう。

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