「難治がん」と闘う新聞記者が、SMAP元メンバーの「新しい地図」から思いめぐらせたこと (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「難治がん」と闘う新聞記者が、SMAP元メンバーの「新しい地図」から思いめぐらせたこと

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

郡山のSMAP(撮影/高橋尚之) (c)朝日新聞社

郡山のSMAP(撮影/高橋尚之) (c)朝日新聞社

「県版のカタ(2番手)だな」。トップ記事を意味する「アタマ」は、震災をストレートに扱った記事を載せることにした。

 そして「本家の独立協議…郡山の『SMAP』複雑?」という記事ができた。だが、ふたを開けてみれば、軽めの見出しとは裏腹な内容になった。

●「SMAPはどんな逆境にも負けない」

「郡山のSMAP」の一つ、アティ。震災の影響などで休業が長引き、半年たった2011年9月末にようやく営業を再開した。復興支援の仕事をしていた女性の一人が、福島再生への願いを込めて「郡山の新生SMAPです」とコラムに書き、県のホームページに投稿した。自身はファンではないが、今回の騒ぎについて「SMAPはどんな逆境にも負けない」と話している――。

 ほかの土地ならば、たとえ商業施設の名前がSMAPでも、単なる話題もので終わるところだろう。

 しかし、福島は違う。人びとはふるさとを失い、ものの売れ行きや観光客の出足を鈍らせる風評被害に苦しみ、無関心の広がりという風化を嘆く。それが、発生から6年たった現実だ。総局内ではこんな夢が語られた。「いつか、震災も原発事故もまったく出てこない県版をつくりたい」

●右往左往する議員たちが気づかない「風」

 年末に解散した本家SMAPの5人も、出演番組で震災への支援金を募り続けた。ツイッターを「♯SMAP」「♯東日本大震災」で検索してほしい。「5人の思いを受け継ぐ」と寄付を呼びかけるファンの言葉があふれている。


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