伊達公子、不屈の精神で2度目の現役を駆け抜けた「彼女らしい幕引き」 (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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伊達公子、不屈の精神で2度目の現役を駆け抜けた「彼女らしい幕引き」

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内田暁dot.
2度目の引退会見で笑顔を見せる伊達公子(写真・Getty images)

2度目の引退会見で笑顔を見せる伊達公子(写真・Getty images)

 伊達公子が、いかにして“セカンドキャリア”を終えるのか――?

 それはテニス関係者やファンたちの間で、数年前から度々持ち上がる話題だった。
彼女がまだトップ100にいた2014年頃までは、「グランドスラムの本戦に入れないランキングになったら、もうやめるのでは」との意見が主流だった。彼女自身もそのように口にしていた。

 しかし実際には、彼女はケガを抱えてランキングが落ちてもグランドスラムに予選から挑戦し、ついには2016年初旬、約1年の休養を覚悟でひざにメスを入れる。当時45歳の彼女が、1年後に復帰してどこまでできるのか……?多くの人たちが懐疑的な思いを抱えながら、同時に、彼女なら何かを見せてくれるのでは……、そんな期待を抱いたのも、また事実。なぜなら彼女は、自ら“チャレンジ”と銘打った2008年の復帰以降、誰もが予想しえなかった幾つもの奇跡的な勝利を演じてきたからだ。

 復帰戦からして、そうだった。2008年のゴールデンウイーク中に岐阜で開催された『カンガルーカップ国際女子オープン』が、彼女のカムバックの舞台であった。この大会は、WTAツアーの下部レベルに位置する大会。それでも当時の日本女子トップ選手の中村藍子や、ウィンブルドンで5年連続4回戦進出の実績を持つタマリネ・タナスガーン(タイ)らビッグネームも名を連ねた。北京オリンピック開催年だったこの年は、多くの選手が五輪出場圏内入りを目指して、ポイントを稼ぎに来ていたという事情もあった。

 その厳しいドローで、伊達は予選から勝ち上がって決勝まで到達する。しかもダブルスでも、当時16歳の奈良くるみと組んで、こちらは見事優勝した。9日間で単複12試合を戦う驚異のスタミナ。しかもそれを37歳が、12年のブランク明けの最初の大会でやってのけたのだ。日本テニス界は、彼女の復帰によって瞬く間に色めき立った。

 その衝撃の復帰以降、伊達は明確には、ツアーレベルへの復帰を目指していると口にはしなかった。ただ、2008年の東レ・パンパシフィックオープン予選に出場した時、彼女は当時世界1位のディナラ・サフィナ(ロシア)と、練習でボールを打ち合っている。

「今の世界のトップ選手が、どんな球を打つのか知りたかった」

 その練習に深い意味を付与することは嫌ったが、それでも彼女がこの時から、やる以上は世界のトップを見ていることは明白だった。

 果たして翌年の伊達は、全豪オープンの本戦出場に始まり、徐々に主戦場をツアーへと移していく。9月にはソウル大会で、155位ながらトップ30選手3人を次々に破り、まさかのツアー優勝も達成。そして翌年5月、全仏オープンの1回戦で、伊達はサフィナと対戦する。試合は互いにセットを分け合う接戦ながら、第3セット終盤では伊達の足をけいれんが襲った。さすがにこの時点で勝負あったと思われたが、伊達は猫のようにつま先のみで赤土を蹴り、苦しい声をあげながらもボールを打ち返し、当時世界9位のサフィナから大金星をもぎ取った。

 そんな伊達のセカンドキャリア最初の大きな危機は2012年だったろう。


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