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「難治がん」と闘う新聞記者が、日々からコラムを削り出すのに支えにしていること

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

 働き盛りの40代男性。朝日新聞記者として奔走してきた野上祐さんはある日、がんの疑いを指摘され、手術。厳しい結果であることを医師から告げられた。抗がん剤治療を受けるなど闘病を続ける中、がん患者になって新たに見えるようになった世界や日々の思いを綴る。

*  *  *
「できる記者っていうのはね」

 父親ほどの年回りの警察官は内緒話のように切り出した。入社4、5年目のころだろうか。「大事な話を聞いても、目が動かないんだよ」

 彼いわく、たいがいの記者は、えっ、と反応し、目が動く。こちらはそれを見てしゃべりすぎたことに気づき、口をつぐむのだ、と。

「その点、あんたはすごい」とほめられたのは私ではなく、隣にいたローカル局の記者だった。警察署からの帰り道、彼は照れた。「俺、何を聞いても大事かどうかわからないから、目を動かしようがないんだよね」。社内の交流人事で、営業から記者になったばかりだったのだ。

 それから十数年の歳月が過ぎた。

 昨年2月。病院で麻酔から目覚めると、闇の中に白衣がぼうっと浮かんだ。


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