ホームランを放つPL学園・清原=1985年撮影 (c)朝日新聞社
ホームランを放つPL学園・清原=1985年撮影 (c)朝日新聞社

 第99回全国高校野球選手権大会が8月8日にいよいよ開幕する。今年は近年、稀に見る注目度の高さだった清宮幸太郎が主将として率いる早稲田実業が西東京大会の決勝戦で敗れたが、史上初となる2度目の春夏制覇に挑む大阪の大阪桐蔭を中心に、熱い戦いが期待できそうだ。

 高校通算本塁打の最多記録に並んだ清宮は「怪物スラッガー」と呼ばれたが、過去にも「怪物」と呼ばれた選手が甲子園という大舞台を賑わせてきた。

 高校球児で最初に「怪物」と呼ばれたのは栃木・作新学院の江川卓で、大きな耳が、当時流行った漫画「怪物くん」の主人公に似ていることが理由だった。もちろん、その高校生離れした投球や成績も「怪物」の名にふさわしいもので、ノーヒットノーラン9回、完全試合2回というケタ外れの実績に3年春の4試合で60奪三振という数字は、現在でも選抜大会の記録となっている。2年夏の栃木県大会では登板した3試合で全てノーヒットノーラン(1試合は完全試合)を記録し、4試合目となった準決勝でも10回2死までノーヒットに抑えるも、延長11回にサヨナラスクイズによって0-1で敗戦。さらに2年秋から3年の春の選抜大会途中まで139イニング連続無失点を記録した。甲子園で初試合となった優勝候補の大阪・北陽戦では、試合開始から4番打者まで全て三振に打ち取り、5番打者がこの試合、23球目にして初めてバットに当てたファールを打つと、超満員の観衆から拍手が起こったというエピソードもあるほどだ。

 江川の前に「怪物」ではなく「怪童」と呼ばれたのが大阪・浪商(現・大体大浪商)の尾崎行雄。甲子園・夏春連続優勝した神奈川・法政二の柴田勲と甲子園3期連続で激闘を繰り広げ、2年夏には三度目の正直で優勝を果たした。同年11月に高校を中退し、東映(現・日本ハム)に入団した尾崎は1年目から20勝をマークし、その球速は160キロを超えていたという声もある。

 早稲田実で清宮の大先輩にあたる王貞治も、1年夏から3年春まで4季連続で甲子園に出場し、怪物級の活躍を見せた。投手として2年春に3試合連続完封を記録してチームを優勝に導き、2年夏にはノーヒットノーランを記録。打者としても3年春に大会30年ぶりとなる2試合連続本塁打を放った。木製バットだった当時では、破格と言える記録だった。

 80年代の高校野球界を席巻したのが、大阪・PL学園の桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」だった。1年夏に3季連続優勝を狙った水野雄仁の徳島・池田を破って頂点に上り詰めると、5季連続で甲子園に出場し、優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回と、驚異的な成績を残した。個人記録でも桑田は通算20勝、清原は通算13本塁打と、ともに甲子園史上最高(桑田は学制改革以降の記録)記録を樹立した。

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