■なぜイスラム過激派は原理主義者と呼ばれるようになったのか?

 このように、原理主義という言葉は、もともとキリスト教に由来するものだ。では、そうした言葉が、なぜイスラム過激派について使われるようになったのか?

 まず前提として、「聖典に書いてあることは全て事実だ」という立場を原理主義というのなら、イスラム教徒は全員が原理主義者だ。聖典クルアーンに書いてあることがすべて事実であることは、全てのイスラム教徒の共有する前提。過激派だけがそう信じているわけではないからだ。
 
にもかかわらず、原理主義がイスラム過激派を指す言葉として、使われるようになったのには、政治的な事情がある。

 この言葉が登場したのは、1979年のイラン革命で時の親米政権が倒され、イスラム国家イランが誕生したころ。反米的で戦闘的なイスラム教徒に対し、危機感を覚えたアメリカ側が、キリスト教原理主義者の過激なイメージを流用する形で、一方的に使いはじめたのが「イスラム原理主義者」という言葉だったのだ。

 つまり、この言葉は、純粋に信仰のあり方を指すものではなく、はじめから敵視の意味合いのこもった、極めて政治的な言葉なのだ。

■宗教用語にはシビアな理解が求められる

 宗教用語について、日本人は割とあやふやな理解ですませているものが多い。今回の「原理主義」に限らず、「異端」「カルト」「大罪」などなど。

 前掲の島田氏も「宗教の用語にはあやまって使われているものが多い」と指摘しているが、無宗教の日本人同士ならまだしも、外国人とのやりとりが当たり前になった現在、宗教用語への理解が適当では、問題も出てくるだろう。なぜなら宗教用語は、信仰を持つ人間にとっては、生き方にシビアに関わってくる言葉だからだ。