「武蔵了戒」について解説する森記念秋水美術館・学芸員の澤田雅志さん
「武蔵了戒」について解説する森記念秋水美術館・学芸員の澤田雅志さん
宮本武蔵の愛刀「武蔵了戒」(森記念秋水美術館提供)
宮本武蔵の愛刀「武蔵了戒」(森記念秋水美術館提供)

 剣豪・宮本武蔵はどんな刀を使っていたのか? 富山市内にある森記念秋水美術館で武蔵の愛刀として伝わる「武蔵了戒(むさしりょうかい)」を鑑賞した。細く長い刀身は、晩年の肖像画に描かれている武蔵が右手に提げた刀とよく似ている。剣豪の生きざまに思いをはせ、名刀の世界に浸ってみた。

【写真】宮本武蔵の愛刀「武蔵了戒」

 「武蔵了戒」は鎌倉時代末期の刀で、同時代に山城国(現在の京都府南部)を拠点とした刀工・定利が祖といわれる綾小路派の作である。「京都の兵法家・吉岡一門との戦いに用いた」と伝えられている。刃長が85.4センチと長いのが特徴。武蔵が生きた時代は、武家諸法度により刀の長さに制限が設けられていたにもかかわらず、長刀を使っていたことが分かる。

 長い刀を使いこなすのは、力と技が伴わなければ難しい。現代の居合道愛好者が身長や筋力に合わせて刀を選ぶとのことから推測して、武蔵はかなりの長身で力持ちだったに違いない。学芸員の澤田雅志さんによると、武蔵は身長180センチを超える大男だったとの言い伝えがあるそうだ。

 ちなみに、本市内にある武蔵ゆかりの品を収蔵する島田美術館にも愛刀として伝わる「金重(かねしげ)」という刀がある。刃長は70.1センチ。こちらも吉岡一門との戦いに使用したとされる伝説の名刀である。

 「二天一流兵法」の開祖である武蔵は肖像画の通り、右手に長い武蔵了戒、左手にやや短めの金重を持って戦ったのだろうか? ワクワクして聞いてみると、澤田さんは「残念ですが、武蔵了戒を用いた可能性は薄い」とのこと。

「実戦で使った刀は刃こぼれするので、研ぎに出さねばなりません。折れたり、曲がったりすることもある。武蔵了戒には『研ぎ減り』という状態が見られないので……」(澤田さん)

 また、実戦を経た刀には無数の傷が付く。澤田さんによると、峰に付いた傷は修復が難しく、「誉れ傷」としてあえて残すものらしい。傷は武士の誉れであり、刀の強度を証明する意味もあるそうだ。しかし武蔵了戒には、それらしい傷がない。

次のページ