吉岡一門との戦いは、小説や映画・テレビドラマで大きなヤマ場として描かれ、一説には武装した数百人の門下生と戦ったともいわれる。ただし、武蔵が20代のころの出来事であり、60代まで存命しているので、その後も幾多の刀を手にしたことだろう。武蔵了戒も金重も武蔵の愛刀だったろうが、伝説の戦いをくぐり抜けたかどうかは定かでない。むしろ懐疑的だが、そこは歴史ロマンとして想像力を膨らませて鑑賞すべき……ということのようだ。

 長い武蔵了戒を、武蔵は片手で操ったのだろうか? 澤田さんは武蔵の著書『五輪書』を紐解き、疑問に答えてくれた。

<(略)二刀と云出す所、武士は将卒ともにぢきに二刀を腰に付る役也(略)、此二つの利をしらしめんために、二刀一流と云なり(略)、 一流の道、初心のものにおゐて、太刀・刀両手に持て、道を仕習ふ事、実の所也、一命を捨(すつ)る時は、道具を残さず役にたてたきもの也(略)>(『五輪書』の「地の巻」より)

(武士は腰に二刀を帯びており、二刀を持つ利点を生かすべきである。そこで、われらの流派では、初心者は両手に太刀と短刀を持つのが正しい稽古の方法。戦いの場では武具を残さず役に立てたいものだ)

「むだなく武器を使えという教えは説いていますが、あくまで修行として『二振りの刀を持て』と勧めています。筋力が鍛えられれば、一振りを両手で持った時、自由自在に操ることができるという狙いでしょう。実際に二振りの刀を左右の手に持って戦った可能性は低いと思われます」(澤田さん)

 今日まで剣豪・武蔵の伝説ばかりが独り歩きし、等身大の武蔵の姿は謎に包まれたままである。『五輪書』も晩年に書き記したものであり、老成した武蔵像しか伝わってこない。青年期や壮年期は、ドラマや映画で主演を務めた俳優の雰囲気や、マンガ『バガボンド』(井上雄彦、講談社)のイメージが世間一般の武蔵像として浸透している気がする。

「武蔵了戒は『剣豪』というイメージとは違い、細身で優美です。一方で、扱いにくい刀でもあることが興味深い。刀剣は、持っていた歴史上の人物と鑑賞する私たちをつなげてくれます」(澤田さん)

 武蔵了戒と向き合い、武蔵の生涯についてイメージを膨らませてみてはいかが? (ライター・若林朋子)