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ZARD・坂井泉水は『負けないで』ヒット中も誰にも気づかれず、小田急線で通勤

永遠の歌姫 ZARDの真実 第4回

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神舘和典dot.#永遠の歌姫ZARDの真実

坂井泉水さん(写真:株式会社ビーイング提供)

坂井泉水さん(写真:株式会社ビーイング提供)

命日の5月27日、多くファンが集った六本木の献花会場(写真:株式会社ビーイング提供)

命日の5月27日、多くファンが集った六本木の献花会場(写真:株式会社ビーイング提供)

寺尾広(てらお・ひろし)/株式会社ビーイングで長戸大幸プロデューサーの下、ZARDを始めさまざまなミリオンヒット・アーティストのディレクターとして、また作曲家、編曲家、キーボード、コーラスとして活動。現在は新人を世に送り出すべく準備中

寺尾広(てらお・ひろし)/株式会社ビーイングで長戸大幸プロデューサーの下、ZARDを始めさまざまなミリオンヒット・アーティストのディレクターとして、また作曲家、編曲家、キーボード、コーラスとして活動。現在は新人を世に送り出すべく準備中

「ディレクターとアーティストは、絶対に先生と生徒の関係になったらだめ。アーティストのほうが、音楽の中にたくさんのものが見えている。そのアーティストが作品をつくる、手助けをするのがディレクターの役割だということを忘れてはいけない」

 長戸氏のこの言葉を寺尾氏は肝に銘じていたのだ。

■スタジオでのお気に入りの出前はチャーハンと餃子

 レコーディング・スタジオに、坂井さんは家族と一緒に住む家から小田急線で通っていた。

「ビーイングの所属アーティストは、結構電車でスタジオに通っていて、坂井さんも例外ではありませんでした。彼女には、いわゆる“アーティスト・オーラ”を消す才能があったのか、混んだ電車に乗っていても気づかれなかったようです。『負けないで』が売れても、『揺れる想い』が売れても、ずっと電車移動。レコーディングは夕方にスタートすることがほとんどでした。レコーディングが深夜に及んだときはタクシーかスタッフの車で送ります。ただ、1990年代後半は自分で車を用意して、運転手を雇用していました。彼女は音を徹底的に追求するので、レコーディング時間がどうしても長くなったので。自分で運転できればよかったのかもしれませんが、彼女はペーパードライバーでした。大阪でのレコーディングや撮影にももちろん電車です。1人で新幹線に乗って、キャリーバッグを転がして来ました」

 100万枚を超えるヒットを連発しても、坂井さんの生活が派手になるようなことはなかった。ごくふつうの20代女性の感覚を失わなかったからこそ、多くのリスナーが共感できる歌詞をかけたのかもしれない。

 食事も、特別なものではなかったという。

「シンガーとしての、食べるものへの気遣いはありました。レコーディング中は特に。時間、内容、量……。歌うために何がいいか、どのくらいのペースで食べるのがいいか、いろいろと試していましたね。六本木のスタジオバードマンの時は、最初は外苑東通りにある叙々苑の焼肉弁当です。マッドスタジオでレコーディングしていた頃は、スタジオの近くにあったグッデイというお店でBLTサンドイッチを頼みました。時代は後になりますし、ごくまれですが、大阪でレコーディングしたときは、心斎橋の明治軒でオムライスを頼みました。そして、1990年代の後半に行き着いたのがチャーハンと餃子でした。高級なフカヒレチャーハンとかではなく、ごく一般的な五目チャーハンです。そして、歌の合間に少しずつ食べます。冷めても気にせず。加減に個人差はあるものの、シンガーは喉に少し油を与えるといい状態で歌えます。たぶん、チャーハンと餃子の油分は彼女の喉にちょうどよかったのでしょう。逆に、スタジオでは、ウーロン茶は口にしませんでした。歌に必要な油分を喉から洗い流してしまう心配があるそうです」


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