浅田真央が引退会見 「トリプルアクセルに挑戦して競技人生を終えることは自分らしかった」 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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浅田真央が引退会見 「トリプルアクセルに挑戦して競技人生を終えることは自分らしかった」

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引退会見を開いた浅田真央(c)朝日新聞社

引退会見を開いた浅田真央(c)朝日新聞社

「ソチ五輪を(フリーで全6種類、計8度の3回転ジャンプを着氷し自己ベスト更新という)最高の形で終えることができました。(休養を経て挑戦し)まだまだやれるという思いがありました。でも(復帰前の状態に戻らない中で)気持ちも体も気力も出し切ったので悔いはありません。復帰しないで選手を終えていたら『まだできたのでは』と思っていたでしょう。チャレンジしてよかったです」

 21年間、山あり谷ありの競技生活だった。決して平たんな道ではなかったし、涙したこともある。しかし、気丈に言葉をつないで歩んだ道を振り返る。

「初めてスケート靴を履いたのは5歳の時。記憶にはないけれど、ヘルメット、ひじ当て、膝当てを付けた当時の写真があります。いろんな技ができるようになり、ジャンプを2回転、3回転と成功させるなど、どんどん成長していく時が楽しかったです。この道を選んだのは自分。辛いと思ったことはありません」

 2度の五輪については「バンクーバー五輪は19歳。10代で若くて、気が強くて、強い気持ちだけで乗り越えました。ソチ五輪はショートプログラムが残念な結果(16位)だったのでつらい試合だったけれど、フリーを最高の演技で終えることができました。(バンクーバー五輪からの)4年間をすべてフリーに注ぎ込んだ。最も印象に残っている演技を一つ選ぶのは難しいけれど、やっぱりソチ五輪のフリーかなと思います」と語った。

 2008年、10年、14年と日本人最多となる3度も世界選手権を制している。後の2回はいずれも五輪後に行われた大会であり、「悔しさを世界選手権で晴らせました。3度目の優勝となった世界選手権は『最後』と思って臨みましたので、思い入れの強い試合でした」とのこと。試練を克服して前に進んできた競技人生への誇りがにじんだ。恩師への感謝のコメントも忘れない。


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