「ソチ五輪を(フリーで全6種類、計8度の3回転ジャンプを着氷し自己ベスト更新という)最高の形で終えることができました。(休養を経て挑戦し)まだまだやれるという思いがありました。でも(復帰前の状態に戻らない中で)気持ちも体も気力も出し切ったので悔いはありません。復帰しないで選手を終えていたら『まだできたのでは』と思っていたでしょう。チャレンジしてよかったです」

 21年間、山あり谷ありの競技生活だった。決して平たんな道ではなかったし、涙したこともある。しかし、気丈に言葉をつないで歩んだ道を振り返る。

「初めてスケート靴を履いたのは5歳の時。記憶にはないけれど、ヘルメット、ひじ当て、膝当てを付けた当時の写真があります。いろんな技ができるようになり、ジャンプを2回転、3回転と成功させるなど、どんどん成長していく時が楽しかったです。この道を選んだのは自分。辛いと思ったことはありません」

 2度の五輪については「バンクーバー五輪は19歳。10代で若くて、気が強くて、強い気持ちだけで乗り越えました。ソチ五輪はショートプログラムが残念な結果(16位)だったのでつらい試合だったけれど、フリーを最高の演技で終えることができました。(バンクーバー五輪からの)4年間をすべてフリーに注ぎ込んだ。最も印象に残っている演技を一つ選ぶのは難しいけれど、やっぱりソチ五輪のフリーかなと思います」と語った。

 2008年、10年、14年と日本人最多となる3度も世界選手権を制している。後の2回はいずれも五輪後に行われた大会であり、「悔しさを世界選手権で晴らせました。3度目の優勝となった世界選手権は『最後』と思って臨みましたので、思い入れの強い試合でした」とのこと。試練を克服して前に進んできた競技人生への誇りがにじんだ。恩師への感謝のコメントも忘れない。

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