佐藤文昭/株式会社産業創成アドバイザリー代表取締役。1981年に日本ビクター株式会社に入社、7年にわたりビデオの研究開発に従事。その後、88年に証券アナリストに転じ、日本勧業角丸証券、スミス・バーニー証券を経て、98年から9年間、ドイツ証券で調査本部長兼電機全般および半導体アナリストとして業界や企業分析を担当。その間、99年にITバブル崩壊を予想し、2000年から6年連続で日本経済新聞の総合アナリスト・ランキングで1位、およびインスティチューショナル・インベスター誌でもトップ・アナリストにランクされた。07年にメリルリンチ日本証券に移籍。副会長兼投資銀行部門マネージング・ディレクターとして電機・半導体・通信業界の再編やM&A関連業務に従事。09年に株式会社産業創成アドバイザリーを共同創業し、現職。著書に『日本の電機産業 再編へのシナリオ』(かんき出版)がある。武蔵工業大学工学部卒業
佐藤文昭/株式会社産業創成アドバイザリー代表取締役。1981年に日本ビクター株式会社に入社、7年にわたりビデオの研究開発に従事。その後、88年に証券アナリストに転じ、日本勧業角丸証券、スミス・バーニー証券を経て、98年から9年間、ドイツ証券で調査本部長兼電機全般および半導体アナリストとして業界や企業分析を担当。その間、99年にITバブル崩壊を予想し、2000年から6年連続で日本経済新聞の総合アナリスト・ランキングで1位、およびインスティチューショナル・インベスター誌でもトップ・アナリストにランクされた。07年にメリルリンチ日本証券に移籍。副会長兼投資銀行部門マネージング・ディレクターとして電機・半導体・通信業界の再編やM&A関連業務に従事。09年に株式会社産業創成アドバイザリーを共同創業し、現職。著書に『日本の電機産業 再編へのシナリオ』(かんき出版)がある。武蔵工業大学工学部卒業

 主力の半導体事業の分社化によって、東芝の今後が不安視されている。ところが、『日本の電機産業 失敗の教訓』(朝日新聞出版)の著者である佐藤文昭氏は、意外にも、今回の分社化を前向きに捉えているという。佐藤氏に、その真意を聞いた。

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 今回の東芝の半導体事業の分社化は、起こるべくして起こったと言える。それどころか、もっと早くに、そのような経営判断が行われていても、おかしくなかったくらいである。

 そもそも、総合電機メーカーとも呼ばれる日本の大手電機メーカーは、数多くの特性が異なる事業を抱えすぎているといえる。たとえば、電機産業の中にも、技術の変化が速く激しいために製品ライフサイクルが短い事業と、技術の大きな変化が長期的に起こり難いために製品ライフサイクルが長い事業があるが、半導体事業は前者に属する。一方で、東芝が半導体事業と同様に主力と位置づけてきた原子力事業は後者に属する。

 このように特性の異なるたくさんの事業の実情を、ひとりの社長が正確に把握し、的確な経営判断をタイミングよく行っていくのは至難の業である。そのことは、東芝が半導体事業の売却に追い込まれた事の発端が、米国での原子力事業の実態を正確に把握できていなかったところから生じていることからもわかる。

 製品サイクルの長短があまりにも違いすぎる半導体事業と原子力事業を同時に主力事業に位置づけようという、東芝の戦略自体にもともと無理があったのである。

 三菱電機や日立製作所はすでに、産業機械や社会インフラなどといった製品サイクルが長い事業への選択と集中を進めているが、東芝も必然的に同じような戦略を取らざるを得なくなっていくと思われる。

 そう考えると、追い込まれてから実施することになった今回の半導体事業の売却は、遅きに失した感を拭うことができない。しかし、半導体事業を高く売却できそうな現状は、前向きに捉えるべきだ。高値でも買い手が現れるということは、日本の電機メーカーがこれまで培ってきた技術の蓄積が評価されているということであり、そのことは素直に喜んでいいのではないだろうか。

 ただし、今後大きく戦略を見直さざるを得ないことを考えれば、半導体事業の株式の過半と言わず、高値がつくうちに完全に事業を売却してしまったほうがいい。東芝は、そうして得たより多くの資金を、今後の柱に据える事業の競争力を強化していくための新たな事業買収に当てるべきである。どのような事業を柱に据えるかは、まさに、東芝経営陣の経営判断の真価が問われるところではあるが、何を柱にするにせよ、半導体事業の売却によって得た資金の使い道を誤れば、東芝がさらなる窮地に追い込まれることは間違いない。