地方競馬には命名権を販売しているレースがあり、例えば、その日の第12レースが「ピーチャン号お誕生日記念」であったように、それぞれに主催者の意向が反映されているとは限らない。第12レースにもピーチャンという馬は出走していなかった。しかし「藤田菜七子」を冠した3戦では本人も騎乗していたのだから、公正競馬の観点からすると何とも大胆なプロモーションを敢行したものである。幸か不幸か、それら3レースで藤田騎手は未勝利に終わったのだが。

 初陣から1カ月ほどで、競馬界の内外に多大な宣伝効果をもたらした藤田騎手だが、その後は中央競馬で苦戦が続くようになり、騎乗機会も減少。中央競馬では5月28日の4勝目を最後に白星から遠ざかり、5勝目を手にしたのは約4カ月後の10月9日だった。それでも、地方での愛されぶりは相変わらずで、7月18日には九州・佐賀競馬で1勝を追加。9月21日には地方競馬10場目となる名古屋に初参戦し、7戦3勝の固め打ちを披露するなど、中央での不振を相殺するような活躍が続いた。

 結局、1年目はクリスマスイブの勝利で打ち止めとなり、計14勝(中央6勝、地方8勝)に終わる。同期デビューで新人トップの45勝をマークした木幡巧也騎手には3倍近く離され、同じく25勝で2位の坂井瑠星騎手、20勝で3位の荻野極騎手にも水をあけられてしまった。

 ただ、地方で築いた8勝は大きな財産だ。彼ら3人には地方での勝ち鞍がないばかりか、騎乗数も木幡騎手の2回が最高。それに対して藤田騎手は全国10場で計63回もの騎乗機会を得た。その他に英国やUAE(アブダビ)、年明け1月にはマカオへ遠征するなど、並みの新人騎手では到底叶わない貴重な経験を積んでいる。地方行脚で顔を売り、全国区でのブレークを狙う様は売り出し中のアイドルにも重なるが、経験を糧にしない手はない。

 昨今は一発屋芸能人も半年で消費されてしまう世の中。人気は水物でしかなく、勝負の世界とあればより厳しく結果を求められる。菜七子フィーバーが落ち着くであろう2年目は、騎手としての真価を問われる年。実力で大舞台を湧かせる乗り役へと飛躍を遂げられるか、期待とともに見守りたい。