2日後の3月5日には中央競馬デビューを迎え、舞台となった中山競馬場には前年の同開催日の116.0%となる2万8,948人の競馬ファンが詰めかけた。来場者数、売り上げとも桁違いの中央競馬でさえ、集客効果が目に見えて表れるのだから、規模の小さい地方競馬場への影響力は言わずもがな。「菜七子フィーバー」の真骨頂は、ホームの中央競馬より、地方競馬で発揮されることになる。

 藤田騎手が初勝利をあげたのはデビューから3週間後の3月24日(木曜日)。この時も中央競馬ではなく、川崎と同じ南関東の浦和競馬場が舞台となった。当日は前回の浦和開催の木曜日(2月4日=3,332人)を大きく上回る4,988人が観戦に訪れ、そのうちの約1割が開門前から行列を作った。売り上げも9億59万3,560円に達し、2月4日(8億1,639万8,350円)を大きく上回った。記念すべき初勝利に沸き返る舞台裏では、コンビを組んだ5歳馬アスキーコードのゼッケンが何者かによって盗まれ、後日、51歳の男が母親に付き添われて警察に出頭するという、何ともトホホな騒動まで勃発した。

 藤田騎手の初勝利は36戦目で成し遂げられた。これは女性騎手の先輩である西原玲奈元騎手の9戦目(女性騎手最速)や先駆者の増沢(旧姓・牧原)由希子元騎手の13戦目より遅いものの、新人騎手としては上々の早さ。4月10日には福島競馬場で待望の中央初勝利をマークしている。51戦を要したが、約1カ月での初勝利は決して遅くない。周囲のサポートにも恵まれ、騎手としての滑り出しは文句なしだった。

 順調な活躍によって報道が過熱する一方になると、増加するメディア対応をその道のプロに任せるべく、初勝利と並行するように大手芸能事務所のホリプロと契約した。程なくして今をときめく有村架純と“CM共演”を果たすのだが、テレビCMに武豊以外の競馬関係者、しかもデビュー間もない新人が起用されるなど前代未聞。新規ファン、若者ファン獲得に苦心惨憺の競馬界とすれば画期的な出来事で、あるいは、ここまでの藤田菜七子という騎手にとって最高のヒットになったかもしれない。

 本業では川崎や浦和の成功に刺激を受けた地方競馬からのラブコールがやまず、4月12日には北陸・金沢競馬場で初騎乗を果たすことになる。菜七子フィーバーにあやかりたい主催者サイドの熱烈歓迎ぶりは凄まじく、なんと、当日の第1レースの名称は「ようこそ藤田菜七子杯」。第6レースは「藤田菜七子騎手来場記念」、第9レースに至っては「がんばれ菜七子さん!」と銘打たれたほどだ。

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