アルゼンチンオープン決勝でドルゴポロフと対戦する錦織圭。(写真:Getty Images)
アルゼンチンオープン決勝でドルゴポロフと対戦する錦織圭。(写真:Getty Images)

 錦織圭が世界のトップ5に上り詰めた、“今”に到るその足跡をたどる時、躍進の足掛かりを得た機縁の地には、いつもクレーコートがあった。

 3年前の5月には、マドリード・オープンで決勝へと駆け上がり、決勝戦では“赤土の王”ラファエル・ナダルを第2セット途中まで圧倒した。結果的にはケガによる無念の途中棄権となったが、この快進撃で錦織は、約1年間跳ね返され続けてきたトップ10の壁を打ち破る。追い続けてきた“世界の十指”の地位、そして「ナダルにも勝ちかけた」という自信の両方を得たスペインの赤土は、錦織のキャリアにおける一つの転換期であった。

 そのマドリードでのナダルとの戦いから、さらに遡ること10年――モロッコのクレーコートで行われたジュニア大会で、当時14歳の錦織は年長選手たちを次々に打ち破り、頂点に君臨した。特に決勝戦で戦った1歳年長の対戦相手は、元プロテニスプレーヤーを父親に持つエリート選手。当時から“天才”と呼ばれたその少年を大逆転で破った錦織は、タイトルと同時に、周囲からの高い評価も獲得する。当時はまだアメリカの有名テニスアカデミーに数居る練習生の一人に過ぎなかった錦織は、この優勝を機に、アカデミー内のエリートコースを歩み出したのだ。

 なお、この時のモロッコ大会の決勝で勝った選手こそが、アレクサンドロ・ドルゴポロフ。先のアルゼンチンオープン決勝戦で、錦織がタイトルを争った相手である。

 プロに転向したばかりの17~18歳の頃、錦織はクレーこそが一番好きなサーフェスであり、全仏オープンが最も優勝したい大会だと明言することをためらわなかった。強い思い入れの原点には、少年時代に勝利を重ねた喜びの記憶があり、その根底には、クレーで多くの時間を過ごした毎日がある。

 13歳で米国フロリダ州のIMGアカデミーに渡った当初、錦織の練習の中心地は、クレーコートだったという。それは当時の錦織の育成を担当した、ジュニアヘッドコーチの意向でもあった。

「球足の遅いクレーは、テニスのゲーム性を学ぶのに最も適したコート。だから圭がアカデミーに来た最初の1年くらいは、クレーコートで戦術やゲームの組み立てを学ばせました」

 かつてのヘッドコーチが、10年以上前の日々を克明に振り返る。ドロップショットなどの意外性に満ちたショット選択や、ボレーやロブを用いた空間を広く使う感性――まるでコートに絵筆を走らせるような創造性溢れる錦織のテニスは、少年時代のクレーコートで培われた。

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