明藤商店は、決して大所帯ではない。4代目の宮原社長と5代目の裕久さんが店内をしきり、帳場は社長のお母さんの良子さんが担当。出荷・配達は先述の渡辺さんに加え、築地場内まで貨物列車が乗り入れていた頃からここで働き続けている、ベテランの岩瀬さんと藤沢さんが担っていた。事務所で働く2名を加えた全従業員8人のうち配達担当者が3人を占めることから、出荷量の多さをうかがい知ることができる。

 店では5代目の裕久さんが出荷準備で忙しそうにしていた。明藤商店では何品目くらい取り扱っているのか裕久さんに聞くと、少なくとも500は下らないとのこと。

 客層は、スーパーと居酒屋がほとんど。スーパーだけに偏っていないところが、明藤商店の特色とも言えると、裕久さんは少し誇らしげに話した。

「お客さんのニーズに応えるのが一番大事です。その上で、今日はこんなのがあると、こっちから提案ができれば、なおいい。居酒屋さんとの商売の面白さは、いろいろと提案ができるところにあります」

 宮原さんは言う。

「昔は真空パックなんてありませんでしたから、魚の保存と言えば干物でした。いろいろな技術が進んだ結果、かつては築地に100以上あった干物をやっている仲卸の数は、15ほどにまで減りました」

 干物の需要が減り、干物の作り方にもスピードと低コストが求められるようになった結果、干物の産地も大きく様変わりした。

「25年ほど前に、下田でアジの天日干しを食べたときは、びっくりしました。おいしくておいしくて。下田や沼津には、干物を作る業者さんがたくさんありました。しかし今は、例えば沼津にあった300を超える干物関連業社が、(需要の減少と製法の変化から)60ほどになりました」

 明藤商店の取材で聞いた合物の話には、いつも産地の風景があった。天日干しの下田、山漬けでイワシを練る北海道、タラコやワタリガニが集中する韓国の釜山、マスとサケを交配させたトラウトサーモンを扱うアメリカ、ニシンを追い込んで子持ち昆布を作るアラスカとカナダ、アフリカ由来のティラピアを日本人向けの味に再加工する台湾など、日本中、世界各地の風景が、宮原さんの話を通して、魚を扱う人々の姿とともに想像された。合物の世界を何も知らない私があれこれと想像できたのは、宮原さんが、産地で魚に携わる人々のことを思っているからなのだろう。

 イワシの丸干しを買うときは、強めの振り塩で熟成されたイワシを探そうと思う。浜で山漬けになる風景を思いながら、日本酒とともに脂滴るイワシをかじれば、格別の一杯となりそうだ。

岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。アサヒカメラ.netにて「アフリカン・メドレー」を連載中