清原和博容疑者 オトコが陥った苦痛と虚勢…そして薬物 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

清原和博容疑者 オトコが陥った苦痛と虚勢…そして薬物

このエントリーをはてなブックマークに追加

スーパースターであった清原和博元選手は、なぜ覚せい剤に手を出したのか……(写真はイメージ)

スーパースターであった清原和博元選手は、なぜ覚せい剤に手を出したのか……(写真はイメージ)

 スーパースターであった清原和博元選手は、なぜ覚せい剤に手を出したのか。新書『男はなぜこんなに苦しいのか』の著者である、心療内科医・産業医の海原純子氏は「弱みをみせることが出来ない男ならではの悲しみがそこにある」と分析する。

*  *  *
 清原和博容疑者の逮捕は日本中に大きな衝撃を与えた。「なぜ?」という疑問からさまざまな議論が交わされているが、覚せい剤をはじめとした物質や行動への依存の根底に存在するのは“否認と逃避”である。

 ハーバード大学精神科臨床教授のエドワード・J・カンツィアンは、人が物質に依存するのは、それが心理的苦痛を軽くしたり、変化させてくれたりするからだと述べている。すべての依存物質がすべての人にとって魅力があるわけではなく、人は自分にあった薬理作用がある物質と出会い、それに依存するという。

 つまり依存の本質は心理的苦痛である。その苦痛を軽くするために人は何かに依存するのだ。

 では清原容疑者の依存にはどんな心の闇があったのか? 彼がNHKの取材に応じたときの言葉にこんな一節がある。

「引退してしまうといろんなことでネガティブに言われても挽回する方法がない。(中略)この名前を背負っていくことが嫌だった」

1月19日のブログ(現在は削除)では、店で他の客に笑いながら指をさされたことがあった際の心境として「完全に頭の中でブチキレる」とつづっている。

 まず、野球でしか自分の居場所がないのに、その野球が年齢的・体力的に難しくなり、次第に人から注目されなくなるつらさを直視できず、覚せい剤を始めた可能性が推察されます。   
引退後も「自分を生かす場がない」「自分らしさは野球でしかなかったのに、それがもうない」「自分から野球をとったら何もない」、こうした空虚さが埋められずエスカレートしたのでしょう。

 かつての栄光との激しいギャップ。尊敬のまなざしから周囲が軽蔑の視線に変化したことを直視できない高いプライド。語り合う相手がいない空虚。仕事の減少による寂しさ。弱みをみせることが出来ない男ならではの悲しみだ。

 こうした心理的苦痛から逃げるために、覚せい剤に手を出し続けたのではないかと思われる。

 覚せい剤は中枢刺激薬といわれ、われわれにとって重要な中枢神経系(脳や脊髄)の機能を活発化させる。かつての栄光の日々の興奮を彼は覚せい剤に求めたのだろうか。

 人は誰も老いや定年でさまざまな場を喪失する。その空虚を埋めるのは自分を直視し逃げずに向き合う事でしかない。

本当の勇気は虚勢を張ることではなく逃げずにつらさと向き合う事から始まる。


トップにもどる dot.オリジナル記事一覧

続きを読む

関連記事関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
あわせて読みたい あわせて読みたい