「中学、高校のときは手の届かない人だという気持ちで鶴見選手の試合を見ていたので、入学当時は『すごい人がいるな』っていう気持ちで日体大に入りました。普段から無駄のない練習をしていて」

 また、故障してからこの大会までの鶴見の姿にも、刺激を受けたという。

「アキレス腱を断裂してからの練習はきっと痛いし、着地が怖いというのもあると思うんですけど、そういう部分が練習に出ないのはすごいなと思って、いつも練習を見ていました」

 こうした練習を重ねながら、鶴見は今回の団体選手権を迎えた。28日の予選では、難易度の高い構成を大きなミスなくまとめ、15.200点の高得点をマーク。そして翌29日の決勝が、鶴見にとっての現役最後の舞台となった。

 決勝当日、鶴見は念入りに器具の感触を確かめてから演技に挑むも、途中で旋回が停滞し、演技が中断した。だが、仕切り直して再開した演技ではダイナミックな離れ技も成功させ、会場からは大きな歓声があがった。着地もまとめると、最後は観客席に深々と頭を下げ、演技を終えた。

 鶴見の得点は13.750点と振るわなかったが、それでも他のメンバーの活躍もあり、日体大は優勝を果たした。同大会の男子団体でも日体大が優勝していたため、5年ぶりのアベック優勝となった。鶴見は試合後の会見で、次のように話している。

「今日は失敗してしまったんですけれども、チームのメンバーが他の種目でがんばってくれたので、優勝することができました。何よりもアベックで優勝できたというのが本当にうれしいです」

 悔いはないか、といった旨の質問には、こう答えた。

「ここまで仲間に支えられながら演技できたので、最後はやりきったなという感じがします」

 印象的だったのは、会見が終わってからのことだ。立ち上がって、普通なら退場するだけの場面で、鶴見は記者席の方に歩み寄り、頭を下げた。

「今までありがとうございました」

 若干14歳から日本のトップ選手であり続けた彼女が、本当に引退するのだと感じさせた瞬間だった。

 23歳での引退は、アスリートとしては早いと言えるかもしれない。だが、2009年の世界選手権では個人総合で銅メダル、種目別の段違い平行棒で銀メダル。二度の五輪、そして全日本選手権6連覇――その実績は年齢に見合わぬほどに偉大だ。村上が話していたように、鶴見に刺激を受け、またその姿を目標にしてきた選手も多い。彼女の体操人生が、周囲に与えた影響は大きかった。

 引退後は体操女子の強豪国・アメリカでコーチの勉強をしたいと話していた鶴見。今度はまた別の形で、日本女子体操界に刺激を与えてほしい。

(ライター・横田 泉)