一時期、「正しい日本語」をクイズ形式で取り上げるテレビ番組が流行したことがあった。「おバカ」タレントが、奇想天外な回答で笑いを取りに行った後、著名な文学者や知識人が解説者として登場し、「これは正解」「あれは不正解」と仕分けをし、その根拠をもっともらしく述べるスタイルの番組だ。

 しかし、そもそも「正しい日本語」とはなんだろうか?

 北海道大学教授で、言語学者の加藤重広氏は、著書『日本人も悩む日本語 ことばの誤用はなぜ生まれるのか?』(朝日新書)で、日本語の表現が「正しい」か「誤り」かを、単純に決めることはできないと述べている。

 例えば、「おどろく」は、古代日本語では「目覚める」という意味で、一部の方言ではその意味が残存しているが、「私は今朝五時におどろきました」と起床時間を伝えるのが現代の標準日本語で正しいとは誰も思わないと指摘。

「正解」とみなされていることばでも、検証すると根拠に乏しい部分があったり、「不正解」と考えられていることばでも、間違いと言い切れない背景があったりと、単純明快に割り切れないものなのだと言う。

 加藤氏は、昨今、何かとやり玉に挙げられることの多い「ら抜きことば」についても、「文法的に間違っている」と頭ごなしに批判する姿勢には懐疑的だ。

 たとえば「ピーマン、食べれる?」のようなら抜きことばは、日本語を知らない若者の話すものと見られがちだが、実は古くから存在していた。四国地方では、ら抜きの方言があり、東海地方でも近世、ら抜きが使われていたのだという。つまり、近代になり東京でも使われ始めるようになった“過渡期にあることば”といえるのだ。もちろん、現状では、公的な場で使うと個人の見識と言語レベルを疑われかねないため、ら抜きは使わないのが望ましい。だが、その“判断”も今後、変わっていく可能性があると加藤氏は言う。

「長い目で見れば、時代が変わるにつれて人の知っていることも変わる。常識だったことも常識でなくなり、誰も知らなかったことが常識になる。ことばは使用され続けている限り、社会状況やそのことばを使う人間の知識や考え方に影響を受けて変わるものである。(中略)現在のような人間の言語ができて数万年、文字ができて数千年と言われているが、私たちが目にしている日本語の変化も乱れもことばの歴史全体からすれば、ごくごく短い時間の現象に過ぎないのである」(本書より)

 本書では、「雰囲気」はなぜ「ふいんき」と読まれるのか、目上に「ご苦労さま」というのがなぜ失礼なのかなど、正解と不正解だけを提示するのではなく、歴史や言葉の成立過程をもとに、誤用にまつわる謎をすっきりと解説。

 タイトル通り「日本人も悩む」、知っているようで知らない日本語の変遷を読み解くのに最適な一冊となっている。