■高学歴女性がキャリア志向を保てないのはなぜか

 オッカム教授は、「セレブバイト」をしている女性たちについて「キャリアをガリガリ重ねることには関心がなく」「あの高学歴で語学力でキャリア志向のない」と書いているが、複数の女性たちの全員が本当にそうだったのだろうかと気になる。一見してその本心がわかるような単純なものではないだろうというのと同時に、高学歴男性と比べて高学歴女性がキャリアを諦めざるを得ない理由もあるのではないか。

 言わずもがな、女性には妊娠・出産が期待され、その後の子育てや家事も女性が担うものとされやすい。女性たち自身もこの価値観を内面化しているし、自分や夫の両親から「無理して働くことはない」「家事をおろそかにしてまで働くなんて」「子どもがかわいそう」と言われることも、いまだに実際にある。アラフォーである筆者の友人には、富裕層である義実家から「嫁が外で働くなんて世間体が悪い」と言われ、退職した人がいる。

 確かに地方と都会では事情が違い、東京は地方に比べ共働き夫婦が少ないことが指摘されている(参照:平成29年就業構造基本調査「夫婦共働き世帯の割合が高いのは福井県,山形県,富山県など」)。だからこそオッカム教授には、高学歴でありながらキャリア志向がなくセレブバイトする女性たちに驚愕し、その夫に「勝てない」と思ったのだろう。しかし、その思いを吐露するだけではなく、その背景にある女性がキャリア志向を保てない状況にも想像力を巡らしてほしかった。

 ジェンダーに関する議論の中でたびたび指摘されることだが、今の社会にはまだ、「男」と「女」に期待される役割に違いがある。男性の場合はキャリアを積み努力を重ねて妻子を養うことが良しとされる一方で、女性の場合は夫や子どものサポートをすることが第一で、自分の社会的なキャリアや自己実現は二の次でよいとされやすい。

 つまり、キャリアを積みたい男性や「ほどほどでよい」と思う女性は生きやすく、「ほどほどでよい」と思う男性やキャリア志向の女性は生きづらい。川の流れる方向が男女で別であり、流れにあらがおうとする人は、それだけ余計に力が必要となり葛藤する。男性であれ女性であれ、そのような葛藤を数回会っただけの相手に明かすとも思えないし、ジェンダーに無関心な人が読み取ることはなかなか難しい部分ではないだろうか。

 繰り返しになるが、オッカム教授が言いたかったのは地方と東京の教育や経済における格差である。それ自体は実際、社会問題だろう。

 一方で、それを言うために高学歴女性たちの通訳業を「セレブバイト」と表現する必要はなかった。それは注目点を都会に住む高学歴女性たちにいたずらにズラし、女性は男性に比べ出世意欲がないというステレオタイプの助長につながるばかりで、問題の解決に至るとは思えないからだ。