本書『信長家臣明智光秀』は、明智光秀が織田信長に謀反を起こした理由を、主君と家臣という2人の関係性に焦点を当てながら解明を試みた1冊。最近になって判明した新たな史実も踏まえて考察している。

 著者の金子拓氏は、東北大学大学院文学研究科で博士号(文学)を取得し、現在、東京大学史料編纂所准教授。専門は日本中世史で、著書に『織田信長という歴史――「信長記」の彼方へ』(勉誠出版)、『織田信長<天下人>の実像』(講談社現代新書)などがある。

 ところで明智光秀は、1月19日に放送開始のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公だ。

 ドラマのタイトルにある「麒麟」は、古代中国の神話に登場する霊獣で、「王が仁のある政治(善き政治)を行う時に必ず頭上に現れる」とされているそうだ。

 本書を読むかぎり、明智光秀は、織田信長の忠実かつ頼りになる重臣であり、さまざまな重要な任務を託されて、結果を出している。

 さらに光秀は、教養豊かで、周囲に対する思いやりにもあふれ、領地では善政を行った人物だったという。何の前触れもなく突然主君を裏切り、殺害するような人物ではなかったとみられる。

 大河ドラマでどう描かれるかはまだわからないが、光秀こそが、麒麟が頭上に現れるような仁のある善政を行った人物なのではないか。

 そんな光秀を本能寺の変に導いた原因とは、いったい何だったのだろうか。

●明智光秀を謀反に走らせた織田信長との二つの「すれ違い」

 本書の著者、金子氏は、本能寺の変が起きた根本原因の一つに、信長と光秀の間に生じた二つの「思惑のすれ違い」があると分析する。

 一つ目のすれ違いは、信長の四国政策転換に伴う長宗我部氏の処遇だ。これは、今風に言えば「テリトリー」の問題といえる。

 光秀が本能寺の変を起こしたのは天正10年(1582年)。その2年前である天正8年ごろまでは、信長の四国制圧は土佐(現在の高知県)の武将だった長宗我部元親に任されていた。

 この長宗我部元親の正室は光秀の重臣・斎藤利三の異父妹であり、そうした関係から、光秀が元親と信長の間をとりもったとされている。さらに光秀は、両者の関係構築ができた後も、2人の調整役を担っていた。

 四国制圧を任せた当初、信長は元親に「四国は全部お前にやるから頑張れ」というようなことを言っていたそうだ。

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調整役というテリトリーを脅かされた光秀