ところが、サポーターからあがったのは、「おい、来年は絶対に(Jリーグに)行くぞ!」という声だった。「行けよ!」じゃなくて、「行くぞ!」です。つまり、FC今治のことを「自分事」だと感じてくれている。

 スポンサーも撤退するだろうと思っていたけど、「スポンサー料を上げるから、いい選手を獲れ」「スポンサーになる方法を教えてくれ」という声もあった。高額の寄附を持参してくれた女性もいました。自分でも信じられないことです。

■ビジョンがあれば周りが動く

佐宗:ピンチはチャンス、ではないですが、困ったときにこそ、周りが動いてくれる、助けてくれる、ということもあるかもしれませんね。

岡田:本当にそう。選手もそうなんですよ。右肩上がりに一直線で上手くなった選手は1人もいません。波を打って、成長していく。
調子を落とすと、選手はみな、同じことを言います。「前と同じことができない」「前はできていたことができない」。

 香川真司がオランダ遠征の際に僕の部屋に来て、やはり、同じようなことを言った。僕は「前にも言っただろうと。何ために落ちているんだ?もっと高く飛ぶためだろう。ジャンプするとき、一度、しゃがむだろう。お前はイニエスタのようになりたいと言った。それなのに、過去の自分のプレーを振り返ってどうするんだ。イニエスタのプレーを研究しろ」と。

 パフォーマンスが落ちるというのは、次に進むためのチャンスなんです。ところが選手たちは自分のプレーを見る。そうではなく、次の高みを見なければいけない。

 その点、本田圭佑選手はすごい。彼は「次」しか見ていませんから。意識の高さと考え方で現在のレベルまでいった選手です。

■歴史という教養から考える

藤田(担当編集者。当日はトークライブ司会を担当):ここからは会場のみなさんからの質問にお答えいただきます。

質問者:歴史や文化などの教養・リベラルアーツについてはどうお考えですか?

岡田:歴史は大事だと思っているし、すべてのベースになっていると思います。しかし、今の時代にはロールモデルがない、というのが僕の実感です。先が分からない時代に、歴史から具体的に何かを学ぶというのは、僕は違うと思う。

 歴史は繰り返すといいますが、たしかにそうでしょう。すべての物事は螺旋階段のようであり、上から見たら昔に戻っていく。物々交換にはじまり、それが大変だと言って問屋ができ、大量生産がはじまった。ところが今は、メルカリなどを用いた物々交換が盛んになるなど、上からみたら昔に戻っている。でも、横から見ると一段上がっている、というふうにとらえることができます。

 基本的な考え方を学ぶという意味で歴史を紐解くのはいいと思いますが、産業革命の前に歴史から工業化が学べたかといえば、おそらく学べない。IT、AIが進展し、シンギュラリティが起こるときは、おそらく、産業革命以上の変化になる。

 歴史を学ぶことから「その先」を予測するのは非常に難しく、歴史から直接学ぶというよりは、歴史という教養の中から新しいものを考える、というのが、正しいつき合い方ではないかと思います。

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