私がその街に旅する理由【世界音楽放浪記vol.50】
私がその街に旅する理由【世界音楽放浪記vol.50】

私の人生は「旅」ばかりだ。これまで、15回引っ越しをして、50以上の国や地域を訪れた。特に40代は、出張を繰り返していた。「日本の音楽を世界へ」。信念にも似た思いで、世界中を訪れ、日本のポップ・カルチャー、とりわけ音楽が、どのように世界中の人々に受容されているのかを、世界中に向けてリポートし続けた。

仕事での旅は、小休止を迎えた。いま、私はプライベートの旅を楽しんでいる。お会いするのは、どこか繋がり合う、「人として」の付き合いが出来る方ばかり。先日、文句のつけようのない経歴の方から「現職でなくなったら、誰も付き合ってくれないのでは?」という不安の声を聞いた。そんなことはない。私は、その人の「外側にあるもの」では、個人的なお付き合いはしない。私は盃を交わし続けることだろう。
札幌では、音楽プロデューサー、メタルバンドのギタリスト、起業した経営者ら、職業や世代の異なる仲間と、行きつけの炉端焼屋で集った。同じように、大阪、福岡、那覇.... 日本全国で会食を重ねた。何の仕事の約束もない。だからこそ、さまざまなヒントが見えてくる。
仕事では訪れることのないような場所にも、足を運んでいる。福岡では、母方の祖母の故郷に赴いた。曾祖父は羽犬塚の地主で、農地改革で多くを失った後も、駅前に料亭を持つなど、風流な人だったという。祖母は、昭和の初めに、その街を飛び出し、東京の体育大学へと進学した。駅のホームで、祖母がかつて旅立った光景を眺めた。大きな不安、それ以上に「いま、ここから」飛び出したい衝動。そんな思いを感じた。偶然だが、祖母の故郷にも、静岡の祖父の故郷にも、「原田駅」がある。母方の祖父母なので苗字は異なるのだが、原田姓の孫としては、強い縁を感じている。
私が「その街に旅する理由」は、「心地よい場所」であることに尽きる。肩の力が抜けて「良いね、ここは」という感覚だ。贅沢するためではなく、安らぎが感じられる場所を求めているとでも表現すればよいだろうか。一番気に入っているのは、近くのスーパーやコンビニまで車で20分ぐらいかかる、青森の岩木山麓にある温泉宿だ。地元の人々も日帰り入浴に訪れる庶民的な旅館だが、温泉も、部屋も、料理も、とても自分にフィットする。その宿を訪れると、全てのストレスが消えていくのが分かる。夜に地元の方々が演奏する津軽三味線の音色は、生きる鼓動のようだ。
今年の大型連休は、ベトナムのホーチミンにオフで滞在した。仕事でお世話になった方々と、ディナーを共にした。とても楽しい時間を過ごした。そのレストランは日本人が経営しているのだが、社会的に恵まれない青年に働く機会を与えるために始めたという。私は日本に帰る前日に再訪し、リーズナブルながら至極のコースを堪能した。
私の憧れの一人は「詩仙」と呼ばれた中国の詩人・李白だ。旅と酒を愛しながら、全世界や日本全国を旅することが出来たら、至極の幸福だ。だからこそ、世界中から日本を訪れている旅人には、出来るだけ親切にしている。良い旅の思い出を持ってもらうことが日本のためになると、確信しているからだ。Text:原田悦志

原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明治大学講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。