ロック時代の幕開けを担ったコメッツのリードギタリストが死去
ロック時代の幕開けを担ったコメッツのリードギタリストが死去

 ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツが1950年代に「ロック・アラウンド・ザ・クロック」でロックンロール時代の幕開けを担った際、リード・ギタリストとして参加したフラニー・ビーチャーが2月24日、フィラデルフィア近郊の老人ホームで亡くなった。92歳だった。

 ロックの殿堂公式ウェブサイトに書かれているバイオグラフィーによると、「シー・ユー・レイター、アリゲーター」などのヒット曲を持つザ・コメッツは、1953年の「クレイジー・マン、クレイジー」で初めてのロックンロール曲をレコーディングしたと音楽歴史家たちにより記されている。

 「ロック・アラウンド・ザ・クロック」のオリジナル・レコーディングは、1954年に他界したフィラデルフィアのセッション・ギタリスト、ダニー・セドロンによって行なわれたが、同バンドが1955年の全米テレビ放送で初めて同曲を披露した際や、特に1955年の『暴力教室(Blackboard Jungle)』などの映画ではビーチャー氏が演奏している。

 また、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」はリリース後20年近く経った1973年にも、映画『アメリカン・グラフィティ』のサウンドトラックに収録され再びヒットした。

 ザ・コメッツは1962年に解散したものの、1980年代にはビーチャー氏やオリジナル・メンバー数人で再結成し、全米をはじめ世界規模のツアーを行なった。

 1921年9月29日にペンシルベニア州ノリスタウンに生まれたフランシス・ビーチャーは、17歳の時に初めて大勢の前でギターを演奏し、その後90歳になるまでプレイし続けた。娘の話によると、ザ・コメッツに参加する前はバディ・グレコやベニー・グッドマンらとプレイしていたそうだ。

 フラニー・ビーチャー氏には、その娘の他に2人の息子と6人の孫がいる。