震災後、放置された自宅は害獣に荒らされ、作業場兼納屋は倒壊したままだ。大倉満さんは町に家屋解体申請を申請するも受付番号は800番台だった。「いつになったら手がつくのか。わかんないな」と嘆いた=2016年10月18日、浪江町(撮影:渡辺幹夫)
15メートルを超える津波で壊滅的な被害を受けた請戸地区では182人もの尊い命が犠牲になった。帰還困難区域となった街は手つかずのままだった=2015年8月26日、浪江町(撮影:渡辺幹夫)
福島県内有数の海の景勝地・松川浦は東日本大震災によって壊滅的な被害を受けた。津波で洗われた田畑は無残な姿をさらけ出していた=2011年5月28日、相馬市(撮影:渡辺幹夫)
帰還困難区域にある町立双葉南小学校。校内の各教室には、震災当日、児童たちが着の身着のままで避難した様子が色濃く残る。6年1組に残されたランドセルの持ち主はもう大学生なのだろうか=2019年11月26日、双葉町(撮影:渡辺幹夫)
町役場庁舎屋上から望む風景。かつては豊かな田畑が役場の周囲を取り囲んでいたが、帰還困難区域に指定されて荒れ果てたまま放置されたいた=2017年5月22日、双葉町(撮影:渡辺幹夫)
町役場庁舎から望む景色は一変した。かつて豊かな田畑、そして丘陵地に住宅が立ち並んでいた土地は中間貯蔵施設に変貌した=2019年11月26日、双葉町(撮影:渡辺幹夫)
津波で被災したJR富岡駅前周辺。原発から20キロ圏内の警戒区域だったこともあり、事故後、しばらくは家屋の撤去ははかどらなかった。がれき除去を終え更地になり、常磐線の再開とともに、駅前の姿は震災前と大きく変容した=2016年1月8日(撮影:渡辺幹夫)
大きく様変わりしたJR富岡駅周辺。津波に流された駅舎も建て直され、常磐線が全線復旧に伴い行き交う人も増えた=2021年3月11日(撮影:渡辺幹夫)