火の山を背景に壇の浦界隈の国道9号線上を走る長関線下関駅行きの電車。写真のモ801型は山陽電軌廃止後土佐電鉄(現とさでん交通)に移籍して、高知市内で活躍している。前田~御裳川(撮影/諸河久:1968年3月29日)
下関の中心地唐戸交差点を走る市内線幡生行きの電車。瀟洒な洋風建築の街並みと古参のモ201型(1932年梅鉢車輛製)がベストマッチ。唐戸~西之端(撮影/諸河久:1968年3月29日)
ひばりがさえずる長閑な単線の専用軌道を行く幡生線の下関駅行き電車。このモ301型は戦前に増備した最後の車両で、張上げ屋根仕様のスマートな存在だった。幡生~武久(撮影/諸河久:1968年3月29日)
松山城を背景にした市役所前界隈が松山市内線の檜舞台だ。前年に廃止された呉市電から移籍したモハ1000型(2002年まで稼働して退役)が、坊ちゃんも通った道後温泉に向けて走り去った。南堀端~市役所前(撮影/諸河久:1968年5月1日)
松山観光のシンボル「坊ちゃん列車」は、見事な明治調の演出で観光客から好評を博している。D1型1号機が牽く松山市駅行き坊ちゃん列車。県庁前~市役所前(撮影/諸河久:2019年4月20日)
道後温泉で転向中のD2型14号機。車体下部の油圧ジャッキで車体を押し上げて、人力で転向するシーンは一見に値する。(撮影/諸河久:2019年4月20日)
雨の別大国道を大分駅前に急ぐ別大線の電車。画面右側には大分湾が展開し、晴れていれば絶好な撮影地だった。写真の500型は別大線初の左右非対称車体で、1956年東洋工機製。田ノ浦~白木(撮影/諸河久:1968年3月20日)
大分から温泉宿が林立する湯の町別府に到着した別大線亀川行きの電車。別府でもスバル360軽自動車の活躍を見ることができた。北浜(撮影/諸河久:1968年3月20日)