前日の降雪も止み、春陽の中をマイカー通勤の車列に翻弄されながら終着県庁前に向かう新潟交通のモハ14。前年から始まったワンマン運転用のバックミラーを装備している。東関屋~県庁前(撮影/諸河久:1983年3月7日)
味わいのある県庁前駅本屋を背景に発車を待つ燕行きに充当されたクハ34+モハ11。撮影日が祝祭日だったため、日章旗を掲揚している。(撮影/諸河久:1967年5月3日)
中ノ口川の護岸壁に沿って走る新潟交通は「土手下電車」の呼称で親しまれた。板井駅から七穂駅に到着した燕行きクハ37は旧国鉄気動車の改造車。(撮影/諸河久:1967年5月3日)
残雪の松本駅前停留所で浅間温泉行きに乗り込む乗客たち。廃止5日前の賑わいの一コマ。(撮影/諸河久:1964年3月26日)
市内目抜き通りを続行運転する浅間線の電車。歩道もない路上は多くの通勤・通学者で賑わっていた。写真のデハ12は1929年日本車輛製で、かつてはオープンデッキ、トロリーポール集電だった。学校前~市民会館前(撮影/諸河久:1963年9月21日)
戦後拡幅された水戸駅前の目抜き通り(国道51号線)を大洗に向かう水浜線の電車。水戸駅前~上水戸が部分廃止される直前の訪問だった。郵便局前~水戸駅前(撮影/諸河久:1965年6月6日)
愛好者が「浜田のSカーブ」と呼んだクランク状の急カーブを大洗行きの旧型車が走り去った。本五町目~浜田(撮影/諸河久:1965年10月4日)