浅海材木店の土蔵がランドマークだった中目黒終点で折り返しを待つ8系統築地行きの都電(撮影/諸河久:1965年3月30日)
両側6車線に拡幅された旧中目黒終点付近の駒沢通り。恵32系統用賀駅行き東急バスの背後の「シティホームズ中目黒ビル」が、白い土蔵が建っていた場所になる(撮影/諸河久:2019年9月28日)
赤羽線が敷設された北本通りの喧騒の中で発車待ちする27系統三ノ輪橋行きの都電。杉並線から改軌・転属したバスボディの2500型が充当されていた。ダンプカー仕様の「いすゞTX」が背後を通過している(撮影/諸河久:1965年1月24日)
旧赤羽終点付近の北本通りは、両側7車線に拡幅されていた。北本通りはこの赤羽交差点を右折して、新河岸川と荒川に架かる新荒川大橋渡り、川口市に向かっている(撮影/諸河久:2019年9月27日)
森閑とした西荒川終点に停車する25系統日比谷公園行きの都電。裸電球が灯る詰所では、都電の定期券や回数券を発売していた。背景に荒川の土手が見える(撮影/諸河久:1963年4月3日)
20年後に定点撮影に訪れた旧西荒川終点跡。右側上空を首都高速道路7号線に塞ぐ。背景の民家と荒川の土手の位置を頼りに定点を探り当てた記憶がある(撮影/諸河久:1983年1月12日)
直近に訪れた西荒川終点と思しき場所。首都高速7号線と荒川の堤防の位置からこの撮影地を選択したが、かつてを彷彿させるものは見つけられなかった(撮影/諸河久:2019年9月30日)