釈迦堂や御用邸公園など日光の観光スポットがある田母沢停留所。上り貨物列車と離合する下り馬返行き100型電車。このカラー作品は35mm判「フジカラーリバーサル」で撮影(撮影/諸河久:1967年7月26日)
冬の日差しを浴びて神橋通り(国道119号線)を国鉄駅前に向かう100型電車。廃止を目前にした訪問時の一コマで、画面の左右には観光土産店や飲食店が軒を連ねている。神橋~市役所前(撮影/諸河久:1968年2月13日)
今夏撮影した神橋通り。観光土産店や食堂などの家並が往時の賑わいを偲ばせる(撮影/諸河久:2019年7月12日)
東照宮表参道から眼下を走る日光軌道線200型を撮影。右奥に大谷川に架かる重要文化財「神橋」が写っている。 下河原~神橋(撮影/諸河久:1967年7月25日)
「神橋」を巡る環境は半世紀一日のごとく、しっかりと保全されている。日光軌道線の廃止後、大谷川に架けられた専用橋は撤去されている(撮影/諸河久:2019年7月12日)
世界の観光地「日光」を象徴する杉並木の表参道と「神橋」の景観地区を走る国鉄駅前行きの200型電車。最後の夏の一コマとなった。 下河原~神橋(撮影/諸河久:1967年7月26日)
現在も狭隘な神橋付近の国道120号線。昔の旅人は左側の神橋を渡って、向かい側の表参道に歩を進めた。画面右端の階段の上に橋渡しの神「深沙王堂(しんじゃおうどう)」の社殿がある(撮影/諸河久:2019年7月12日)
明智平までのケーブルカー乗り継ぎ客で賑わう馬返駅を発車する国鉄駅前行き100型電車。いろは坂渋滞で駅前の国道は自動車が数珠つなぎだった(撮影/諸河久:1964年6月7日)
旧駅の痕跡もわからなくなり、廃墟のような馬返バス停界隈(撮影/諸河久:2019年7月11日)