梅雨の黄昏時、数寄屋橋を発車して板張りの晴海通りを築地終点に急ぐ8系統の都電。 数寄屋橋~銀座四丁目(撮影/諸河久:1964年6月28日)
来訪客で賑わう現在の数寄屋橋交差点。旧来からの建物は、銀座四丁目左角の「和光本館」と右角の「三愛ビル」 が残るのみだ(撮影/諸河久:2019年5月18日)
旧数寄屋橋の跡に架設された新数寄屋橋をくぐって、日比谷公園に向う9系統渋谷駅前行きの都電。左端が1933年に建てられた円形の「日本劇場」。隣接するフィンガーウインドーが美しい「朝日新聞社」本社屋は1927年に竣工している。数寄屋橋~日比谷公園(撮影/諸河久:1964年12月21日)
日本劇場と朝日新聞社の跡地には、複合商業施設「有楽町センタービル(通称・有楽町マリオン)」が1984年に建設された。中央奥には建て替えられた「銀座教会」の尖塔と十字架が写っている(撮影/諸河久:2019年5月18日)
外濠通りの数寄屋橋停留所に到着した17系統の都電。大正期、この一帯は西紺屋町と呼ばれ、後年西銀座→銀座と地名が変わった。右のビルに丸ノ内線・西銀座駅(撮影時は銀座に改称)に通じる出入口が見られる。(撮影/諸河久:1964年12月21日)
筆者が所蔵する「西銀座駅」の乗車券
旧外濠南畔にある数寄屋橋公園には「君の名は」の原作者・菊田一夫の揮毫による「数寄屋橋 此処に ありき」の石碑が展示され、往時の数寄屋橋を彷彿とさせてくれる(撮影/諸河久:2019年5月18日)