放送評論家の鈴木嘉一氏は「大河ドラマの50年/放送文化の中の歴史ドラマ」(中央公論新社刊)の「毛利元就」の項で、次のように書いている。
「大河ドラマで戦国武将を描く際、中央の覇者以外では上杉謙信、伊達政宗、武田信玄が主役となり、東日本に偏る傾向があった。全国の視聴者を意識しなければいけないNHKにとって、中国地方の覇者である毛利元就はいずれ取り上げなければいけない人物だったのだろう。一九九七年は元就の生誕五〇〇年に当たり、大河ドラマで中国地方が主な舞台になるのは初めてだった」
1997(平成9)年の大河36作目で毛利元就が取り上げられた事情を、このように分かりやすく分析した文章は他にない。安芸の小規模な国人領主から中国地方の覇者となり「戦国最高の知将」「謀神」などと評される元就。 用意周到かつ合理的な策略で、“謀略王”とも呼ばれる稀代の策略家だ。
「ひとへに武略、計略、調略」と、嫡男・隆元に与えた教訓状に記した元就は、忍者集団世木(世鬼)一族や、座頭衆の盲人たちを隠密として各地に派遣し、謀略と情報収集を徹底させたことでも知られている。
そんな元就を主人公にとした「毛利元就」、原作は永井路子の「山霧」「元就、そして女たち」で、脚本には連続テレビ小説「ひらり」でヒット・メーカーの仲間入りを果たした内館牧子さんが起用された。原作、脚本がともに女性という初めての大河。だが脚本家デビューしてまだ10年目、49歳の内館さんの起用は、橋田壽賀子56歳、水木洋子58歳、小山内美江子53歳の大河デビュー年齢を考えると大抜擢といえるだろう。
内館さんは執筆当時のことを以下のように回想する。
「大河のお話をいただいたのは脚本家になって9年目でしたからいくら何でも早すぎるだろうとビックリしました。そのときプロデューサーの方に “私は信長と家康の区別もつかない歴史音痴なんですけど”と申し上げたのですが、“専門家をつけますので内館さんのドラマを作っていただければ大丈夫です”ということだったのでお引き受けしました」