「人生で初めて、打席で足が震えました」
松坂の大記録を前に、そして、横浜の春夏連覇を前に、聖地・甲子園は異様なムードに包まれていた。すごいことが起こる。その“歴史の証人”になれるかもしれない。観客からの期待は、甲子園球場が一体となったかのような「圧」に変わり、田中の体に迫ってくる。
ボール、ストライク、ボール、そしてファウル。
「最後、真っすぐで終わりたいかなと。外、真っすぐが来るだろうな。打つとしたら、会心で打ちたかったんです。悔いの残らないように。まあ、悔い、残っているんですけどね」
松坂の5球目は、田中の読みに反しての「スライダー」だった。軌道は分かっているはずだった。左肩の横から、ぎゅっと、曲がり落ちてくる。田中はスイングを始めた。
でも、逃げていく。また、逃げていく。131キロのスライダーが視界から遠のいていく。
「横に逃げていく。あんな球、見たことなかったです」
田中のバットが、空を切る。
「やっぱり、松坂はすごかったです」
怪物の壁はとてつもなく高く、超えられなかった。
大会後、田中は高校全日本の代表メンバーの一員に選出された。松坂とも初めてチームメートになると、周りからいつしか“最後の人”と、いじられるようになった。
合同練習後のある日。誰からともなく、あのシーンの“再現”がリクエストされたのだという。
やるか--。
松坂がモーションを起こし、右腕を振った。田中が、両手をくるんとスイングさせた。捕手役のチームメートが、外角の遠いところで捕る真似をした。
「あー」「それ、振るか~」
みんなで笑った。松坂には、そんな茶目っ気があった。
ただ、関大に進学後、リーグ戦で田中が打席に立つと、相手ベンチから、こんな辛らつな野次が飛んだ。
「外角にスライダー投げときゃ、大丈夫や」
“最後の人”ゆえの苦しみもつきまとった大学生活。卒業時、田中はいったん、野球から離れる決意を固めた。就職先は大手化粧品メーカー。野球とは全く関係のない仕事だった。甲子園の想い出は、心の中に封印するつもりだった。