プロでは何の実績もない、トレードでやって来た選手にエース級の番号「16」をくれるなんて、本当に感激しました。それも、負けん気の強い私の性格を見抜いていたんでしょうね。一気にやる気に火が付きました。

 野村さんは、弱いチームを強くするにはどうすればいいかについて「10の力のあるチームに、7しか力のないチームはどうすればいいか。3を埋めるには考える(シンキング)があれば勝てる」という考え方でした。そのシンキングベースボールについて、野村さんに影響を与えたのが当時のヘッドコーチのドン・ブレイザーでした。

 ブレイザーは、一つ一つのプレーについて「なぜこうしたのか。その結果どうなったのか」について、よく考えるよう言われました。ただ、私は若かったから、小難しいことにはよく反発していましたが、それでもブレイザーの野球理論は勉強になりました。

 結果、南海の1年目は16勝できて、計4年間で52勝。その間、昨年12月に亡くなった野村沙知代さんが現場に口を出すようになったこともあり、チームがギクシャクしていました。それで、監督に直談判したこともあります。それも今では良い思い出ですね。沙知代さんとは言い争いをしたこともあったのですが、引退後の私を気にかけてくれました。南海時代はお互いに若かったけど、今では「戦友」のような感じです。それにしても、沙知代さんが亡くなってしまって、野村さんが弱ってしまった。これから野村さんの世話をする人は大変ですね。

 南海から阪神に移籍してからは、いろいろありましたね。最後は「ベンチがアホやから野球がでけへん」の発言で引退することになったのですが、感情的に言ったわけではありません。それまでに様々なことが積み重なって、あの発言になったのです。

■江本孟紀(えもと・たけのり)
1947年、高知県生まれ。高知商業、法政大を経て、谷組に入社。71年、ドラフト外で東映に入団。南海や阪神ではエースとして活躍。81年に現役引退。8年連続二桁勝利で通算113勝。野球評論家として活躍し、映画やミュージカルにも出演。参院議員を2期務めた。2017年に旭日中綬章受賞。近著に『僕しか知らない星野仙一』(カンゼン)や自伝『野球バカは死なず』(文春新書)。

(構成/AERA dot.編集部・西岡千史)

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