「長さん(いかりや)がね、荒井さんと同じ年のやつを入れようと思っていたのよ」

 その人の名前は豊岡豊。「豊岡豊とスウィング・フェイス」というバンドのリーダーとして指揮者を務めていた人物だ。いかりやは、個人的に親交が深く、笑いのセンスもあった豊岡を加入させようとしていた。

 しかし、加藤はそれに反対した。テレビの仕事や営業を長年一緒にこなしてきて、ドリフのコントの作り方もよく分かっている志村を加入させた方がいい、といかりやを強く説得したのだ。結局、いかりやが折れて、新メンバーは志村になったというのだ。

 実は、これは今までお笑いファンの間で知られてきた定説を覆す衝撃的な事実である。なぜなら、いかりや長介の自伝本『だめだこりゃ』(新潮社)でも、番組プロデューサーである居作昌果の著書『8時だョ!全員集合伝説』(双葉社)でも、いかりやが「新メンバーは志村しかいない」と初めから決めていたように書かれていたからだ。

 実際には、それを後押ししたのが加藤だったとすれば、加藤のこの行動がその後のお笑い界の歴史に大きな影響を与えていたことになる。ドリフに加入した志村は、初めのうちはなかなか活躍できなかったものの、「東村山音頭」のギャグなどをきっかけに頭角を現し、加藤と人気を二分するドリフのエースとなった。

 その後、『8時だョ! 全員集合』が終了すると、加藤と志村だけを残す形で新番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が始まった。そこから現在に至るまで、志村はテレビやライブで長年にわたりコントを演じ続けるお笑い界のレジェンドとなった。

 この話を聞いたたけしは、自分を脅かすような存在の志村をあえて加入させたのがすごい、と加藤の行動に感心していた。加藤によると、自分だけが笑いを取る役目を課せられていて、それを重荷に感じているところもあったのだという。「ちょっとだけよ」「すんずれいしました」「ウンコチンチン」などの伝説的なギャグの数々で日本中を爆笑の渦に巻き込んできた加藤は、華々しい活躍の影でそれだけの苦労を重ねてきたのだ。

 お気楽な旅番組の中で、お笑い界の巨星が並び立ち、ここでしか聞けない貴重な話が次々に飛び出して、お笑い好きとしては思わぬ拾い物をしたような気がした。(ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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