バツイチならぬボツイチ……という単語を最近よく目にする。配偶者に死別した人間をそう呼ぶのだそうな。そういえばいま話題の芥川賞受賞作で若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」も、74歳のボツイチ女性・桃子さんの語り口が話題になり50万部を超えている。著者の若竹さん(63歳)も実際、9年前、50代半ばでご主人を喪くされ、49日を過ぎた時に息子さんの提案で小説講座に通い始めたという。
わたしも、その「ボツイチ」のひとりである。3年前の2015年4月16日の朝、18年間連れ添った事実婚のパートナーである作家・白川道の大動脈りゅう破裂による急死により、50歳にして突然ひとりぼっちになってしまったのだ。
私たちはお互いを「トウチャン、ペコマル」と呼び合い、「魂の双子」と名乗るほど深く結びついていた。32歳(すでにバツイチ)のときに19歳年上の無頼派小説家と六本木のバーでの偶然の出会いからはじまったトンデモ同棲生活はふたりが69歳と50歳になるまで続いた。
ギャンブル好きなトウチャンは年中金欠で、生活費を1円も入れることもなく(サイテー!)、食事や映画の約束は麻雀の誘いが入ればすぐにドタキャンするわ、支払いのためにおろした札で膨らんだわたしの財布から束ごと抜き盗って逃亡するわ(友人の西原理恵子さんには「家の中に泥棒を飼っている」と名言をいただきました)。
一般的に考えるとずいぶんひどい目に合わされ続けたのだが、なぜか憎めない人だった。人間としての可愛げに満ち溢れていて、ユーモアがあって頭がよくて、そして何より、私のことを心から愛してくれていたのだ。そこに一片の疑いも入る余地がないくらい、その愛はゆるぎなく、いつしかトウチャンと私の、初老男と中年女の恋物語は永遠に続くかの錯覚に陥っていた。
わたしの生きがいや仕事のモチベーションはすべてトウチャン。トウチャンの生きる意味は「ペコマル」の存在のみ。傍で見る人は気持ち悪かったかもしれないが、そのくらい私たちは互いに互いをよりどころにしていた。ふたりして過ごす時間で話は尽きることなく、一晩中笑い転げていた日もある。
公然とネタにするほどのセックスレスカップルだったが、肉体よりも精神でつながっている満足感が、それすらも笑い話にしてくれた。
普通の女性が求めるであろう「安定」の切り札など一枚もない暮らしの中、そして誰からもうらやましがられないであろう愛の形に、なぜか私たちは多幸感に満たされて生きていたのだ。そう、あの朝が来るまでは……。
大きな咳をしているトウチャンの様子を見に寝室からリビングに降りて行ったときには、私の生きがいは、ソファから床の上に崩れ落ちていた。毒りんごを食べてこと切れた白雪姫を悼む小人のように3匹の猫が周りを取り囲んでいる。宙に向かって見開かれた光の消えたトウチャンの瞳が目に飛び込んだ瞬間、時間が凍りつき、音が消えさり、私の辛すぎる50代のボツイチ人生が幕を開けたのだった――。