常識とは、ぶっちゃけてしまえば単なる多数決のようなもの。しかし人は年齢を重ねるごとに「みんながこうしているから自分もこうしよう」と空気を読み始め、勝手に自分の頭を固めてしまいがちです。幼稚園の親御さんたちを見ると、子どもが輪からはずれないように必死な人が多い気がします。みんなよりちょっと変わった子だったり、発育が遅かったりすると不安になるものです。けれど、私は人に迷惑がかからない範囲なら、「みんなしているから、貴方もそうすべき」とはなるべく言わないようにしています。
エジソンの発言のとおり、子どもというのは本当に発想が自由です。息子の将来の夢は「ロボット」なので、最近は「ご飯は油にして」と言いだすようになりました。ロボットになりたいくせに掃除機に吸い込まれてしまうと思って泣いて怖がりますし、お風呂の栓を抜くときも「吸い込まれるから急いで出て」と号泣です。透明の石のネックレスに興味をもっていたので「それは恐竜の歯で作ったの」と言ってみたらそれを信じ、毎日のように見にきます。サンタクロースは当然のこと、鬼も魔法使いも信じていますし、最近は「どせいさん」という、あるゲームのキャラクターをやたら怖がります。「大きい音をたてるとどせいさんがくるよ」というと、すぐ静かになります。幼稚園で「今日は何したの?」と聞くと「戦い」と答えるし、寝る前も桃太郎のような話ではなく、「恐竜とライダーがバスに乗る話をして」と謎の組み合わせを突然ふっかけてきます。「かたつむりにもホテルはあるの?」と、意図の分からない質問もされます。遊ぶにしても、迷路はあえてたくさん寄り道をするし、組み立てロボも違う種類を交ぜて謎の合体をさせているし、おもちゃがあっても説明書どおりに遊ばないことが多いです。
私には、そんな考えはポンポン浮かんでこないので、「よくそんな発想ができるな」と頭の中をのぞいてみたい気になります。だからこそ、彼のファンタジックなイマジネーションの世界を潰すような邪魔はせず、なるべく「リトルピーポー」と遊ばせ、自由な発想を伸ばしていける環境をつくれたらいいなと思うのです。