「人間関係は万人の万人に対する闘争だ……。そう思いながらこの年まで生きていくなんて大変だと思うよ」。そばにいた配偶者につい、そんな話をした。
病気と付き合うには最悪の事態を想定しておくことだ、と前にコラムで書いた。そうすれば、いざというときに動揺が小さくて済むからだが、不安を招く面もあることは否めない。
私たち夫婦2人には、忘れられない男性がいる。私や多くの膵臓がん患者と違い、根治に不可欠な腫瘍の切除に成功した人だ。人もうらやむ立場だが、当然ながら本人は現状に満足しない。いずれ再発するのでは、と心配していた。
私も含め、人間とは将来を思いわずらい、何かせずにいられないものだ。いま考えれば、将来の飢えを心配するホッブズの世界そのものにみえる。
普通の感覚でいえば、ホッブズの人生が幸せだったとは思えない。
一方で、その思想は生き延び、今も影響を与え続けている。田中浩『ホッブズ リヴァイアサンの哲学者』(岩波新書)にはこうある。「日本国憲法の三原則 ―基本的人権の尊重、国民主権主義、平和主義― は、まさにホッブズの政治原理そのものではなかったか」
はた目には、本人を苦しめた苛烈さも無駄でなかったと思えるが、どうだろう。
私がコラムにつづる思いつきは、体系だった思想とはほど遠い。ただ、彼の人生が苛烈であればあるほど、病気のような好ましくない体験からも何かが生み出せそうな気がして、希望がわいてくるのも事実だ。
こんな時に、配偶者とはありがたいものである。「こっちが書いているのは立派な思想じゃないけど、親しみを感じる」という私に「自分の生活から文章を書いているのは同じじゃないの」と話を合わせ、背中を押してくれるのだから。
布団の中で原稿の構想ができたのは、日付が変わる前後の時間帯だ。左手でスマートフォンを握りしめ、朝方まで4時間ほど原稿をフリック入力し続けた。
ふだんの倍以上の時間をかけたせいか、まどろみから目覚めると、左手首が固まっていた。ずいぶん力んだものだ。薄暗がりの中で苦笑いした。