僕のところに来るのは、外科手術をし、抗がん剤治療をし、それでも治らなくてどうしようもなくなった患者さんばかり。毎日病棟に顔を見に行くたびに、痛い、苦しい、つらいと訴える。この患者さんたちを何とかしたい。その想いだけで、IVRを使った治療や緩和的な方法を編み出していきました。

 がんの末期で標準的な治療法がなくなった時、痛み止めだけ使ってなるべく楽に、というのも一つの選択肢です。でも、もし患者さんが望むなら、可能性のある方法を懸命に探っていく。

 IVRのエビデンスは世界的に見ても、現在でもあまり整っているとは言えない。まして今から20年以上も前だから、中には地球上でまだ誰もやったことがないような治療もありましたよ。もちろん患者さんには正直にそう話し、相談しながら進めていく。そういう治療を選択し、チャレンジして良い結果になった人もいれば、あまりうまくはいかなかった人もいる。でも有り難いことに、それで患者さんやご家族との関係が悪くなったことは一度もないんです。僕のほうも全身全霊で治療に取り組んでいるということが、患者さんたちに伝わっていたのかもしれないね。

 ただそれでも、基本的には助からないというのが前提。死にゆく方々とは本当に大勢、お付き合いしてきました。その頃は、受け持っている患者さんが1年に平均50人くらい亡くなった。1週間に1人の計算だけど、当然、均等にはならない。ある日曜日など、1日で4人亡くなったこともありますよ。

 当時は今のように科で分業化しておらず、IVRで受け持った患者さんであっても、結局、吐き気止めや痛み止めも何もかも、自分たちで面倒を見ていた。多くの場合は死に際にも立ち会って、患者さんのご家族に話をして、全員、お見送りして。だから僕は、20年間で確実に1000人は看取っています。

■何でもない日常生活の価値が別世界に見えてくる

 死というものには、医者になる前から割に馴染みがあった。山に登っていると、ここで滑ったら死ぬな、落ちたら命はないな、という場面に何度も遭遇するんです。キツイですよ。無事に通過してもしばらくは、その感覚が消えない。帰ってからも、あっ、と落ちる夢を見ることがある。

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