

東京の老舗遊園地「浅草花やしき」でアイドル活動をしていた、木村唯さん。「花やしき少女歌劇団」のメンバーだった唯さんは、2015年10月14日、18歳の若さでこの世を去った。
唯さんが、右足に「小児がん」を発症したのは、中学3年生のとき。翌年、再びステージで活躍することを目指し、右足の切断手術を受けた。
唯さんの生涯を追った『生きて、もっと歌いたい』(朝日新聞出版)では、片足を失いながらも、前を向いて強く生きる唯さんの姿が描かれている。そのピュアで、透明感のある歌声は定評があった――。
唯さんを診察した国立がん研究センター中央病院・希少がんセンター長で整形外科医の川井章氏が、当時の唯さんの印象を明かしてくれた。
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――唯さんが初めて来院したとき、どのような様子でしたか。
2013年に初めて診察したときは、右足ふくらはぎの筋肉に腫瘍があり、さらに足の付け根のリンパ節への転移も見られました。このリンパ節への転移が大きな問題でした。
前に入院していた病院では、「弱い治療に切り替えて、残された時間を有意義に過ごすほうがいいのではないか」と言われたそうです。
確かに、足を切らずに負担の少ない治療を行うことも選択肢のひとつです。ただ、それでは根治する可能性はほぼありませんでした。厳しい状況に変わりなかったのですが、「右足の切断の方が根治に少しでも近いかもしれない」と伝え、判断を委ねました。
後日、唯ちゃんは「わずかでも治る可能性があるなら、そちらを選びたい」と決断しました。右足を切断してでも、「生きる可能性」のある治療を望んだのだと思います。
――まだ16歳になる直前のことですね。自分で判断したという強さに驚かされます。
唯ちゃんは、いつも明るく、人生に前向きでした。長期の入院になると、だれでも機嫌の悪い日があったりするものですが、そういうところも見たことがありません。いろいろなことを感じながらも、それをきちんと受け止めて、自分でちゃんと答えを出していたんだと思います。
小児科病棟は基本的に15歳までなので、唯ちゃんはお姉ちゃん的な存在。もしかしたら、弟や妹のような病棟の友達に、自分が病気と闘う姿を見せることで、みなを励まそうとしていたのかもしれません。自分のつらいところを見せない姿は、本当に立派の一言でした。