国立がん研究センター中央病院・希少がんセンター長 川井章氏(撮影/写真部・小山幸佑)
この記事の写真をすべて見る
家族や友人との誕生祝いの会で笑顔を見せる木村唯さん=2014年8月、母雅美さん提供

 東京の老舗遊園地「浅草花やしき」でアイドル活動をしていた、木村唯さん。「花やしき少女歌劇団」のメンバーだった唯さんは、2015年10月14日、18歳の若さでこの世を去った。

【家族や友人との誕生祝いの会で笑顔を見せる木村唯さん】

 唯さんが、右足に「小児がん」を発症したのは、中学3年生のとき。翌年、再びステージで活躍することを目指し、右足の切断手術を受けた。

 唯さんの生涯を追った『生きて、もっと歌いたい』(朝日新聞出版)では、片足を失いながらも、前を向いて強く生きる唯さんの姿が描かれている。そのピュアで、透明感のある歌声は定評があった――。

 唯さんを診察した国立がん研究センター中央病院・希少がんセンター長で整形外科医の川井章氏が、当時の唯さんの印象を明かしてくれた。

*  *  *

――唯さんが初めて来院したとき、どのような様子でしたか。

 2013年に初めて診察したときは、右足ふくらはぎの筋肉に腫瘍があり、さらに足の付け根のリンパ節への転移も見られました。このリンパ節への転移が大きな問題でした。

 前に入院していた病院では、「弱い治療に切り替えて、残された時間を有意義に過ごすほうがいいのではないか」と言われたそうです。

 確かに、足を切らずに負担の少ない治療を行うことも選択肢のひとつです。ただ、それでは根治する可能性はほぼありませんでした。厳しい状況に変わりなかったのですが、「右足の切断の方が根治に少しでも近いかもしれない」と伝え、判断を委ねました。

 後日、唯ちゃんは「わずかでも治る可能性があるなら、そちらを選びたい」と決断しました。右足を切断してでも、「生きる可能性」のある治療を望んだのだと思います。

――まだ16歳になる直前のことですね。自分で判断したという強さに驚かされます。

 唯ちゃんは、いつも明るく、人生に前向きでした。長期の入院になると、だれでも機嫌の悪い日があったりするものですが、そういうところも見たことがありません。いろいろなことを感じながらも、それをきちんと受け止めて、自分でちゃんと答えを出していたんだと思います。

 小児科病棟は基本的に15歳までなので、唯ちゃんはお姉ちゃん的な存在。もしかしたら、弟や妹のような病棟の友達に、自分が病気と闘う姿を見せることで、みなを励まそうとしていたのかもしれません。自分のつらいところを見せない姿は、本当に立派の一言でした。

次のページ 小児がんは、その多くが未だ原因不明なのだという…