雑誌編集者などを経て1984年にフリーになり、ロックやブルースを中心に音楽ライターを続けてきた大友博さん。その大友さんが、人生で一度もベスト3から外れたことのない名作アルバムがあるという。作品に関するエピソードを紹介する。
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年明けの1月5日にアメリカでリリースされたジャクソン・ブラウンの『レイト・フォー・ザ・スカイ』2018年版アナログ・アルバムをようやく手に入れることができた。やや「遅ればせながら」という感じだが、今回はその、おそらくほとんどの人が「1970年代前半のアメリカ音楽を代表する名盤の一つ」と呼ぶことに賛同してくれるはずのアルバムを、あらためて紹介したい。
1974年秋、21歳のときに出会って以来ずっと聴きつづけてきたこのアルバムは、僕にとっては、いわゆるデザート・アイランド・ディスクスのベスト3圏内から一度も陥落したことがないほどの作品。思い入れの強すぎる文章になってしまうかもしれないが、その点はご容赦を。
1948年10月9日生まれのジャクソン・ブラウンは(つまり、今年の秋で70歳)、早くからフォーク・ミュージックに興味を持つようになり、オレンジ・カウンティのハイスクールを卒業した66年、ニッティ・グリッティ・ダート・バンドに短期間在籍したあと、ニューヨークのグリニッジヴィレッジに向かっている。
強い影響を受けたミュージシャンの一人、ボブ・ディランを意識しての大陸横断だったのかもしれない。そこでアンディ・ウォーホル人脈のモデル/女優ニコ(ウォーホルの推薦でヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファースト・アルバムにも参加した)と出会っているのだが、一時はかなり深い関係になっていたようで、彼女は最初のアルバム『チェルシー・ガール』でジャクソン初期の名曲の一つ「ティーズ・デイズ/青春の日々」を取り上げている。また、後年アルバム『スタンディング・オン・ザ・ブリーチ』に収めた「ザ・バーズ・オブ・セント・マークス」は、彼女から「ザ・バーズみたいな曲を書いてよ」といわれて書き上げたものであったらしい。