宇野勝。コーチ時代の背番号は77 (c)朝日新聞社
宇野勝。コーチ時代の背番号は77 (c)朝日新聞社
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 各地でキャンプも真っ盛りだが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。第一回は、珍プレーの歴史には欠かせない“あの男”だ。

*  *  *

 プロ野球の珍プレーがこれほどまでに注目を集めるようになったのは、やはり何といっても、宇野勝(中日-ロッテ)の存在抜きには語れない。

 “B級ニュース界のレジェンド”の名を一躍高めたのは、1981年8月26日、巨人戦(後楽園)での“ヘディング事件”だった。

 セ・リーグ新記録の159試合連続得点を継続中の巨人打線は、6回まで中日・星野仙一の前にゼロ行進。2点を追う7回も、2死二塁で山本功児がショート後方に高々とフライを打ち上げた。落下点に入った宇野が、余裕の表情で飛球が落ちてくるのを待ち受ける。誰もが「これでスリーアウトチェンジ」と信じて疑わなかった。

 ところが、直後、上空に時ならぬ強風が吹き荒れたことが、「まさか!」のハプニングを誘発する。

「ボールが風で揺れて見えた」という宇野が左手にはめたグラブを差し出すと、ボールはグラブではなく、宇野のおでこを直撃したからたまらない。サッカーのヘディングのような形でポーンとおでこの上で大きく跳ねたボールは、カバーに入ろうとしたレフト・大島康徳の脇をすり抜け、左翼ポール際まで転がっていった(記録は宇野のエラー)。

 2死だったため、飛球が上がった瞬間にスタートを切っていた二塁走者・柳田眞宏がホームイン。そして、この1点は、巨人にリーグ記録を更新する160試合連続得点となった。

 打者走者の山本は好返球で本塁タッチアウトになり、同点こそ阻止したものの、巨人の得点シーンをバックアップに入った本塁横で目の当たりにした星野は、グラブを叩きつけて悔しがった。

「あのときは悔しかった。あんな(ヘディング)プレーをオレは初めて見たが、宇野に腹が立ったわけではなく、完封が逃げたと思ったから……」(星野)

 実は、星野は翌日先発予定の小松辰雄と「どちらが先に巨人を完封するか」で賞金10万円の賭けをしていたという。それが信じられないようなプレーでパーになってしまったのだから、逆上するのも無理はない。

 それでも気持ちを切らすことなく、巨人打線を3安打1失点に抑え、2対1で完投勝利を挙げたのは、お見事だった。

 ちなみに巨人の連続試合得点記録は、同年9月21日、中日戦で0対4の完封負けを喫し、「174」でストップしたが、完封勝利を挙げたのは、奇しくも小松だった。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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