国境なき医師団日本会長の加藤寛幸医師「目の前にいる患者の命に向き合うだけ」(撮影/小林茂太)

 医師を目指すうえで、誰しも覚悟を決めた瞬間がある。医学部志望生向けのAERAムック『AERA Premium 医者・医学部がわかる2018』では、医療のニーズがあるところに向かう「国境なき医師団」日本事務局会長の加藤寛幸医師に、医の道を選択するという「覚悟」を尋ねた。

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 想像できるだろうか。戦地で直前まで対峙していた兵士同士が、同じ施設内の一枚の壁を挟んで、けがの治療のために診療を受ける光景を。

 医療・人道援助を行う「国境なき医師団」。絶えず世界中でわき起こる紛争や被災地域に入り込み、医療を中心とした支援活動をしている。冒頭のような光景は、中立性の精神を掲げるがゆえ、実際に遭遇しうるという。

 同団体日本事務局会長の加藤寛幸医師は、アフガニスタンの紛争地域で、兵士と戦火に巻き込まれた民間人や子どもを同時に診る経験をした。国境なき医師団が支援する医療施設のなかに、銃器は持ち込めない。兵士とて、必ず入り口で外すのがルールだ。だが、その施設が空爆のターゲットになることもある。無論、国際人道法違反だ。

 それでも加藤医師は、向かう。小児科医でありながら、エボラ出血熱、アフガン紛争、東日本大震災、ロヒンギャ難民など、世界中の困難に直面してきた。

 ひとりの医師として、命のために去来するものとは――。

「損をすると思うほうを選びなさい」

――加藤医師は小児救急を専門とされていますが、当初から小児科と決めていたのですか。

 いえ。当時から小児科は大変であまり人気がなく、選択肢にありませんでした。加えて、島根医科大(当時)でも医師としての目標を持てず、医師国家試験に落ちました。自分で生活費を稼がなければならないので、保育士のアルバイトをするようになると、子どもが好きだったこともあり次第に小児科を意識しはじめました。

――たとえ大変とわかっていても、ですか。

 そのころ、日曜学校でお世話になっていた教会のある世話役の方に、こう言われました。「損をすると思うほうを選びなさい」と。まわりは裕福な医学生が多いのに、うちは母子家庭で母親に苦労をかけっぱなし。金持ちになってやろうと得ばかりを探していた自分が恥ずかしくなりました。苦労が多いかもしれないけど好きな子どもを診られる小児科医を選ぼう、と。

――国境なき医師団には?

 国境なき医師団の日本事務局ができたのは1992年11月。小児科認定医試験に合格した97年に、国境なき医師団の医師募集に応募しました。ただ、英語などの語学力が足りなかったことなどもあり、即座には採用されませんでした。その後、10年かかってスーダンに赴任しました。37歳のときです。

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人口10万人に対して医師はたった1人…